見出し画像

どうせなら、嘘の話をしよう。


どうも、「取材と執筆の学校」ゲスト講師のちょーのです。笑

なんて冗談はさておき、書く人の教科書のエピローグはまだまだ遠い僕。もりきょんは最近どう?読み進んでる?

「#うすしお」は、いったいどんな人たちが、どんな気持ちで使っているのだろう。このハッシュタグを求めている層も一定数いるのでしょうか。

今日は、そんな憶測と、もうすぐ解禁になる僕たちの新しい挑戦のお話。

届け、このモヤモヤ!

――――――――――

あまり詳しくは話せないけれども、僕たちは10月に新しい挑戦をする。(前回の記事で多少ネタバレしているので、気になる方はぜひ…!)

「僕たち」と言うのは、このマガジンを一緒に書いている森と、一緒に働いている森と、そんな森たちに挟まれたオセロ状態の僕。

長崎の若手ライター3人組が、いよいよ動き出しますよ!といったところでしょうか。

企画が動き始めてからというもの、嵐のようなブレストをして、雷のようなひらめきが落ちてきて、忙しさに顔を曇らせたりもしている。これが公になる頃には、晴れやかな気持ちでいたい。積もる話もしたい。

僕たちの作品を手に取ってほしいのは、長崎に住んでいる人?住んでいた人?興味がある人?その人たちに見つけてもらうには、届けるためには、どんなことをしたらいいのだろう。

ここで冒頭に話が戻るのだけれど、これは世間一般的に「広報戦略」と言われていて、横文字で言えば「ターゲティング」や「ペルソナ」といったものに繋がってくる。

バズを設計することが可能な時代で、共感を呼ぶことが技術とされる時代で、それらを知っているのと知らないのとでは、どうやら天と地ほどの差があるらしい。

それほどまでに売り方や魅せ方が大切であることを頭で理解しながらも、わざわざそんな複雑なことには囚われなくても…と思う自分がいる。読み手の興味や心地良さがデザインされたものに、どうしても違和感が拭えない。

この気持ちが表現者としての驕りなのか、物書きとしてのエゴなのか、はたまた勉強嫌いなのかは分からない。けれども、書きたいものが書けないのに「物書き」を名乗るなんて、なんだか寂しい。書いたものを、遠くに届けることがすべてだとも思えない。

いつもながら、結論の見えない話をつづる気持ちよさと気持ちわるさが混ざりあう結びにひと言。いま僕が思うのは、そんな中でも読み手の心地良さを追求するホスピタリティは忘れたくないなあということでした。

ぜひ、情報解禁をお楽しみに!(唐突)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?