街の懐/「おやすみ、東京」
「おやすみ、東京」という本を読了した。🐦⬛
はじめましての吉田篤弘さんの小説。舞台は題名の通り、東京の街の夜だ。
私は、東京生まれ東京育ち。
しかし、正直それを嬉しく思ったことはあまりなく…。
高校には一時間電車に揺られて東京の端の方まで通ったのだが、同じ東京都内なのに「区!?市じゃなくて、区住み?!」と驚かれ、羨ましがられて、こちらこそ驚いた。
都会って、そんなに良いものだろうか。
東京って、そんなに素敵なところかしら。
子どもの頃から、首を傾げてそんなふうに思っていた。つまりはそれほど東京が好きになれずに生きてきたのである。
私のなかにある東京のイメージは、人も電車も街も流行りもせわしなく、ガヤガヤとしていて、心が休まる時がない。どの人もどのお店も、まるで仮面をつけているようで、コロコロと姿を変えるからつかみどころがない。
確かに便利で常に新しく、東京に住んでいて「困ったなぁ」と思うようなことは、無いに等しいのかもしれない。けれど私は、せわしないのも騒がしいのも性に合わず、目がチカチカするような輝きも苦手だった。あまり星が見えないのも残念だった。
だから将来は田舎に住みたいと、ずっと憧れている。森や山や川に囲まれ、広い空の下、穏やかな時間の流れのなかで、のほほんと長閑に暮らしたい。電車が一日に数本しか来なくても、流行がわかるお店がなくても、それで良い。むしろその方が、私はのびのびと暮らせるだろう。
そう思っていた。
ところがーー。
この本を手に取ったのは、Instagramのレビュー投稿で、「穏やかな眠りにつける本」とあったからだ。ちょうど寝つきが良くないことに悩んでいて、寝る前に読む "おやすみ本" としてそのような本を探していた。
さっそく本屋さんに足を運んで、文庫カバーの裏表紙の内容紹介に目を通すーーと、ふむふむ、なんだか面白そうな。そこにはこう書いてあった。
ほほう…。映画会社で〈調達屋〉、夜のタクシー〈ブラックバード〉……。やさしさ、淋しさ、記憶と夢、月に照らされた東京……。並んだ単語の不思議な響きに心を惹かれ、密かに胸が高鳴るのをこらえながら、レジへと持って行ったのを覚えている。
長篇小説とあるが、正確には連作短篇。主人公が変わったり戻ったりしながら紡がれる一つ一つのお話が、だんだんとゆるやかに繋がってゆき、山手線の線路のようにひとつの輪になる。その過程がいとおしく、また、一人一人の登場人物も皆いとおしいのが魅力だ。帯にはこう書かれているーー「この街の夜は、誰もが主役です」。まさしくそのとおりだった。
全部で十二の短篇から成っているのだが、必ず一文目の針が午前一時をさしているところから始まる。「時計がきっかり一時になった。」「東京は午前一時である。」……。この始まりのひと言だけで、すっと闇夜の静けさの中に引き込まれる。
そうして、短すぎず長すぎずのところで終わるので、一篇読み終わる頃にちょうどよく眠気が降りてくる。続きが気になる感じはもちろん残しつつも、なんというか、登場人物たちの人間味や泰然自若な東京の街の様子に、ふっと肩の力が抜けるのである。それを感じると同時に、今日も穏やかな眠りにつけそうだ、と思えるのだ。
、、、あれ? "泰然自若な東京の街の様子" …?
はじめに述べていた東京のイメージと、違うではないか。と、思いましたでしょうか。私自身も、思いました。
なんと、そうなのです。
東京の街は、確かに派手なものも多いし、目がくらむような光でいっぱいで、色々な人の匂いがする。だけど、時代を超えて様々な人やモノを含んできたからこそ、その懐は大きく、どっしりと構えているようなところがある。その静けさは、とりわけ深い夜に、私たちをひっそりと包み込んでくれる。
この街は、この街の星たちは、ちゃんと私たちを見ていてくれているのだ。そう、まるで主人公にスポットライトを当てるみたいに…。そんなメッセージを、私はこの本から受け取ったのだった。
あまり好きじゃないと思っていた都会の雰囲気。そんな東京の印象が、少し変わった。この物語を読んでいると、人は人を介して、その先の人や事柄と繋がってゆくのだなぁということがよくわかる。こんなに沢山人がいて、あらゆる風に吹かれる街だけれど、そんな場所だからこそ起こる奇跡や、思わぬ歯車が噛み合う喜びがあるのだろうと思った。
良ければ是非、興味が湧いた方にはお手に取ってみて頂きたい。きっとそっと勇気をもらえる、東京情緒が溢れる一冊。おやすみ読書におすすめです。🌃
では最後に、この物語のメッセージとも重なる私の大好きな曲の歌詞を綴って、終わりにしようと思います。
ふふふ。東京の夜もきらいじゃないなぁと思えた読書体験でした。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました
(^.^)🌼
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