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第50編 蛸日和

 今年の夏も、例年通りに暑い日が休みなく続いた。御天道様も少しはお休みになったらいいものを、根が生真面目だからしょうがない。毎日決まった時間に東の空から昇ってきて、決まった時間に西の空に沈んでゆく。これが逆さまだったなら、この夏も少しは静かだったのかもしれません。

「ちょっと一郎、あんた、また髪が伸びてきたんじゃないの?」

「なんだよ。髪ぐらい誰だって伸びるもんだろう」

「あんたの伸び方はちょっとおかしいんだよ。つい一週間前に切ったばかりなのに、もう切る前の長さに戻っているじゃないか」

「そう言うけどね、母さん。僕の髪の伸び方はそういう体質なんだよ」

「体質ってね、一体どこの誰に似たんだか。えー、まったく。母さんの髪だってね、そうバカみたいに早くは伸びはしないよ。お父さんなんか見てみなさいよ。毎日毎日、効くんだか効かないんだかよくわからない薬をつけて、トントントントン、はーい、どちら様?なんて若くて綺麗な奥さんが出てくるわけでもないのに一生懸命に頭の扉を叩いてさ、その割には食べ忘れたパンに生えている、吹いたら飛んでいきそうなカビみたいな毛しか生えてこないじゃないか」

「よく言うよ。こんな潰れた饅頭のような鼻は母さんそっくりだし。広い額なんか父さんそのもじゃないか。僕がいくら拒もうが、絶対に母さんたちの子供だよ。もう、遺伝子レベルでそっくりだよ」

「昔はあんなに可愛かったのに、口ばっかり先に育っちまったんだね。母さんは悲しいよ。それで、どうするんだい?また切りに行くのかい?その北海道で採れた新鮮なワカメみたいな髪の毛をさ」

「ああ、行ってくるよ。そうしないとまた近所のカラスが巣を作りにくるからな」

「まったくなんだんだろうね、この子は。学校の成績が伸びるとかすればいいのに、頭の中身の方じゃなくて、外側にばっかりに栄養がいってるんじゃないのかい。もちょっとこう、違うところを早く伸ばしてもらいたいもんだね。ほんとに」

「うるさいな。髪を切ればちゃんと他も伸びてくるだろうさ。早いとこ散髪代をおくれよ」

「もーまったく。はいよ。二千円。いいかい、うちにだってね散髪代を余分に出すお金なんてないんだからね。お父さんの頭があんなだからあんたの分、余計に出せるんだよ。お父さんが帰ってきたら、頭に向かってちゃんと拝むんだよ。わかったかい?」

「わかった、わかったよ。おハゲの神様、ありがとうございます。ナンマンダブ、ナンマンダブ。それじゃ、行ってくるよ」

「あーいっといで。もう行かなくていいように、ツルツルのピカピカにしてもらいなよ」

「ツルツルピカピカって、子供の頭を壺か何かと思っているんだね、あの人は。・・・こんにちは〜」

「はい。いらっしゃ・・」

「ご主人、急に動かなくなって、どうしました。電池でも切れましたか?」

「・・・いや、一郎君、いらっしゃい。つい一週間前に来た一郎君と髪の長さが同じ一郎君が来たんで、一郎君がもう一人いて、実はそれが二郎君で、今日きた一郎君が本当の一郎君だということは、二郎君は果たして一体どこの誰なのかと、今一生懸命考えていて、つい動きが止まってしまったんだよ」

「何をおっしゃっているのかは、よくわかりませんが、散髪をお願いできますか?」

「あー、はいはい、散髪ね。ロングで残して、縦に巻いとく?それとも、ボブにして外ハネでアレンジするのも、この夏にはいいんじゃない?」

「いえ、こう、エアリーショートで耳かけな感じにしてもらえますか、朝はなるべく手間をかけたくないので・・・って、そんなお店でしたっけ、ここ?」

「あはは。ドンマイ、一郎君!っで、どうするんだい?」

「髪が伸びすぎだって、さっきもね、母さんに怒られたんですよ。それで、せっかく整えてもらった上で申し訳ないのですが、いっそ坊主にしてもらえますか?」

「そうなのか。こんな立派なワカメに育ったのにもったいないな。美味しい、いい出汁が取れるだろうに」

「なんでみんなワカメにしたがるのかよくわかりませんが、よろしくお願いします」

「はいよ!それゾリゾリッのツルツルリン、剃って剃って剃りまくれ〜。はい。ツルツル丸坊主の一丁出来上がり!それじゃ、鏡をどうぞ」

「ああ、自分で頼んでおいてこんなことを言うのもなんですが、なんだか蛸が丘の上を迷い歩いているのに遭遇したのような感じですね。本で読んだのですが、火星に住んでいるという異星人の方もこんな感じなのでしょうか」

「ははは、一郎君、君のお父さんにそっくりだよ」

「なんだか、嬉しいんだか、悲しいだが微妙な褒め言葉をありがとうございます。これ散髪代です」

「はい。毎度ね。またワカメが生えてきたらいつでも来てよね」

「頭にワカメは生えませんが、髪が伸びたらまた来ますよ。その時は夢に出るくらい剃らせてあげますよ」

「今回も大概だったけどね。ワカメが夢に出るのは勘弁、勘弁。なんせうちは乾物屋じゃなくて、散髪屋だからさ」

「はぁ、意味がわかりませんが、それじゃ、どうも」

「はいよ、気をつけて」

「うわ、あっちい。御天道様も夏ぐらいは休めばいいのに、張り切り過ぎてるから、外にいちゃ、この熱で本当に茹で蛸になってしまうよ。早いとこ家に帰ろう」

散髪店のある通りを、小走りに家路へと向かう一郎君。そのすぐ先にちょっとした十字路があります。その先、十字路を渡ってまっすぐに行くと一郎君の家にたどり着くのですが、一郎君とは別の道、十字の重なったもう一方の道に同じくそこへと向かう人影が一つ。

「クッソウ、なんでこうも暑いのかね。直射日光は、頭皮に悪いってのに、帽子をかぶるのを忘れちまった。家に戻ってとって来なけりゃいけねえや。うちの一郎みたいに髪がどっさりとあれば、帽子なんざかぶらなくてもいいもんだがね。こっちは、あいにくツンツルテンだまったく、一体あいつは誰に似たんだか。くぅ、暑すぎて自転車を漕ぐ足もおぼつかなくなってきやがった。こら急がねぇと」

「はぁはぁ、家まで真っ直ぐ歩くだけなのに、こんなにきつかったけかな。前は髪があったからうまい具合に日除けになっていたけど、丸坊主にしてしまったから、日が直接頭に当たって体力を余計に消耗している気がするよ。ああ、モヤモヤしてきたぞ。なんだが頭がおかしくなりそうだ」

「えっほ、えっほ」

「よいしょ、よいしょ」

 二人して家へと急いでいるところ、どんな偶然なのか丁度いい具合に、てっぺんに昇っていた御天道様の光が、お互いの鏡のようにツルツルの頭に当たって、その光を反射させた。

「うわっ、まぶしい!」

 お互いの頭から反射した光にお互いの視界を奪われた二人は、そのまま見事に十字路で正面衝突。その場で二人して仰向けにぐったりと倒れてしまった。

「おいおい、熊の字、見てみろよ!こんなところに茹で蛸が二匹も落っこちてるぞ!」

「バカ野郎!蛸がこんなところに落ちている訳がないじゃないか。これは、一郎君とその親父さんだよ。ああ、顔が真っ赤っかじゃねぇか、一体どうしたんだ。こんなとこに寝かしといてもしょうがなんねえ。そういや、確か家はすぐそこのはずだ。おいハっちゃん、お前は、一郎君を担いで自転車も持ってゆけ」

「熊の字、この蛸どこに売りに行くんだい?」

「バカ!誰も買やぁしないよ。家に運ぶんだよ。ほら、さっさとしろよ」

「あいよ」

「ドンドンドン!すみません、開けてください。ドンドンドン」

「はいはい、いま開けますからね。おや、熊川さんに八田さん、これはどうも」

「これ、御宅の旦那と坊ちゃんでしょ。そこの十字路で二人して顔を真っ赤にして倒れてたんで、今、八のやつと一緒に運んで来たんですよ」

「まぁ、それはすみません。なんだって、あんなところで二人で倒れてたんだろうね。ちょっと、二人とも起きなよ、まったく。お二人ともすみませんね。こんなゴミ運ばせて」

「いえ〜、いいんすよ。あそこに置いとくと、干し蛸になりそうだったんで、運んで来たんすよ奥さん。いや、そうした方が、生の蛸よりも買い手がつくかもしれねえですな奥さん」

「八のバカ!やめろ。それじゃ、奥さん、あっし達はこれで」

「ああ、本当にすみません。お礼はまた今度」

「こんな時のお礼は、タコ焼きがいいといいますぜ、奥さん」

「いいから、ほら、行くぞ!」

「ああ、まったく、なんなんだろうね、二人して寝っ転がっちゃって。ええ、ほら、起きなよ!本当に干し蛸になってしまうよ」

「うううん・・」

「いててて、なんだってんだよ、ちくしょう。ううん。おや、お前、なんだってこんなところにいるんだ」

「ここは、私の住んでるあんたの家だからね、いるのは当たり前だよ。ほら、一郎も起きな」

「あいたた。あれれ、父さんに母さん、ここはあの世ですか?」

「何をバカなことを言ってるんだい。ここは、あんたの家だよ。二人して、十字路で寝っ転がってたから、熊川さんと八田さんがうちまで運んできてくれたんだよ。まったく、なんであんなところで二人して転がってたんだい」

「いや、よくはわからないが、暑くてな、帽子を取りに家へと急いでいたら、ピカッと目の前が真っ白になってよ。そしたら、ドカンとなってそのまま気を失っちまったというわけだ」

「僕も、散髪屋を出てからの道で暑くて朦朧としながら家に向かっていたら、何かがピカッと光って、あとは父さんと一緒で、そのまま気を失って」

「まったく、なんだかね、この親子は。なんだって二人仲良くおんなじことになるのかね。こんな二人と住むとなると、この先が思いやられるよ。さぁ、二人とも早いとこ家の中に入っておくれ。とりあえず怪我もなく無事なようでよかったけどさ、真っ赤な蛸を同時に二人も連れていたんじゃ、ご近所さんのいい笑い者だよ、まったく」

「うううむ、すまんな」

「母さん、ごめんなさい」

「うん?おや、そういえば一郎、おめぇのワカメのような髪がなくなって、いやにさっぱりしたじゃねえか」

「ええ、いましがた散髪に行って来たんですが、その帰りにこの有様で」

「そうか、でもよかったじゃねぇか。お互いに、毛が無くて」

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