東京2020オリンピックに想う【歓喜とため息③】

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実は約半世紀ぶりの大快挙!!野球の金メダル

ソフトボール同様、2008年北京大会以来の復活となった野球は日本が予選リーグから決勝まで全勝で金メダルを獲得した。
かつて野球が正式競技だった1988年ソウル大会から2008年北京大会まで日本は金メダルに縁がなく、2000年シドニー大会(プロアマ混成)と2008年北京大会(星野仙一監督)はメダルを逃すという結果に終わっていた。
東京2020大会は参加6チーム、地元開催ゆえ負けられない戦い。初戦のドミニカ共和国戦では途中までリードされる展開だったが、甲斐拓也捕手のサヨナラスクイズでサヨナラ勝ち。
これでチームがほぐれたか、以降は安定した投手力を軸に比較的危なげない試合運びで勝ち進み、決勝はアメリカを下した。活躍を讃えたいのはやはり甲斐拓也捕手。タイプの異なる投手を巧みにリードし、打撃面でも決勝タイムリーを放つなど貢献した。
日本は過去のオリンピックで細かい野球にこだわりすぎ、重たいゲーム運びになるケースが目立ったが今大会では前述の甲斐捕手のタイムリーのように長打で得点する場面もあり、柔軟な戦いができた。稲葉監督以下首脳陣の苦慮に選手がよく応えたと思う。

あまり言及されなかったが日本の男子団体球技のオリンピック金メダルは1972年ミュンヘン大会のバレーボール以来。約半世紀ぶりの快挙だった。

また決勝の試合後、アメリカ代表のマイク・ソーシュア監督と選手が日本代表に歩み寄り、祝意を表したスポーツマンシップには感動した。
ソーシュア監督は大リーグのエンゼルスで19シーズン指揮して通算1,500勝以上をあげ、ワールドチャンピオン(2001年)やリーグ最優秀監督に輝いた名将。稲葉監督より遥かに格上の監督である彼が自ら帽子を取って歩んだ姿にこの頃やや曇りが感じられた「結果が出たら素直に勝者を称える」アメリカ人の良識はまだ健在だと胸をなでおろした。

野球・ソフトボールは2024年パリ大会で再び除外される。専用グラウンドが必要、用具が高価などの理由により、両競技とも国際的普及はあまり進んでいない。それどころか昔は「野球王国」と言われたキューバで子供たちがサッカーに流れているなんて話まで耳にする。広まらない上に盛んな国で細るのは由々しき事態。ここは金メダルの日本が野球・ソフトボールを世界へ広める運動の先頭に立たなければ「復活」など夢のまた夢。
王貞治会長、吉田義男元監督、宇津木妙子元監督といった個人の努力に頼るのではなく、組織的に戦略性をもって取り組む時期。

更なる躍進への一歩【フェンシングとアーチェリー】

男子フェンシングエペ団体の金メダルは歴史的なもの。なぜなら第1回近代オリンピックアテネ大会から現在まで存続中の競技で日本が唯一金メダルを取れていなかったのがフェンシングだったから。
これでフェンシングの関係者は肩身の狭い思いをしなくて済むし、団体の金メダルだとメダリストが一気に4人増えるため、普及活動もやりやすい。
折よく日本にフェンシング初のメダルをもたらし、東京2020大会の招致に貢献した太田雄貴国際フェンシング連盟副会長が日本人で初めてIOC選手委員に当選した。トーマス・バッハIOC会長が1976年モントリオール大会のフェンシングの団体金メダリストであるなどヨーロッパにおいてフェンシング出身者のステータスは高い。フェンシングのメダリストが増えることは日本の国際スポーツ政治における地位向上に資する可能性を持つ。

アーチェリーは男子個人でベテランの古川高晴選手が2012年ロンドン大会の銀メダル以来の銅メダル、古川選手・武藤弘樹選手・河田悠希選手が出場した男子団体も銅メダルに輝いた。男子では初の団体のメダル獲得はやはり競技振興の面でプラスだし、若い選手が厳しい状況に向き合ってメダルを射止めたのは今後の躍進への大きな一歩。

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