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夏目くんのことば

昔お世話になった師匠でもある演出家に問われたことがある。

「それは、やりたくてやってるの?やったほうがいいことなの?」

これはかなり衝撃的な質問だった。
当時、私は会社員(自分の会社だけど)をやっていて、社会の目とか、均衡を保つとか、そんなことばかりに気が行っていた。
そしていつも、過去のことや、先のことばかりを気にしていた。
だからダメだしはいつも「ここにいてーーー!!」という鬼のような演出家の怒鳴り声だった(笑)

いつもいつも、自分が最後だった。
いつもいつも、電話が鳴っていたし、
いつもいつも仕事に出て貰っている人のことが気になっていた。

24時間365日、人のことばかりを考えていた。こんな日が10年も続くと、人は壊れていく。壊れない人も勿論いるけれども、それは「自分の存在を尊敬している」「自分を喜ばせてあげられる」人だ。

感覚が鈍くなっていた。大好きな文章も書かなくなっていたし、笑えなくなっていたし、人の話を聞く余裕もまったくなかった。
でも、愛想だけは振りまいていた。誰にも嫌われたくないとか、全部上手くやりたいとか、人に任せるなんて出来ないとか、今思うと、とても傲慢で恥ずかしい毎日送っていた。

でも、いつくらいからか、何をやっても満たされない自分に気づいたのだ。
何かを変えよう、変えたいと思って足を踏み入れたのが演劇の世界だった。
けれど、長い時間をかけて体に染み付いたものは、同じくらいの時間をかけないと抜けなかった。そしてこの癖は、大病を経て少しずつ消えた。
(病気で足止めされることが必要だったんだと今なら思えるけれど、出来れば病気はお奨めしない)

今思えば、師匠には全部見えていたんだと思う。演劇の演出をするというのはそういうことだ。

目には見えない、人の気を読み、役者同士の間に流れるエネルギーを読む。
スピリチュアルな世界の人でなくとも、これを毎日続けていたら、見えないものも見えるようになる。人と人の間に流れるエネルギーや、その人の持つ気の流れまですべて。
だから、師匠は私の質を見透かしていたんだと思う。
苦しんでいる様子が手に取るようにわかっていたのだと思う。
彼女のダメ出しは私の人生へのダメ出しが大半であったのだから。

「人のため」と言うのは簡単だ。
けれども、「人のため」を考えていい人とダメな人がいる。

しっかりと「自分を極めた人」だけが、人のために何か出来る、あるいはしても大丈夫な人たちだ。
その手前の人たちには、先ずは自分を極めることを薦めたいと心から思う。
自分はどんなことに敏感なのか。どんなことを避けて通りたいと思うのか。
何が煩わしくて、何が好きか。その理由は?と、少しずつ掘り下げながら、良し悪しをつけることなく、自分というものを極めていければいい。

そうやって自分を紐解いていくことが出来たら、自分はこんなに個性的なんだから、人も同じくらい個性的なんだと、必ず思えるようになる。
そこまでいったら、人を叱り飛ばしたり、威圧感を持って自分の言いなりにしようなんてことを考える人はいなくなるし、自分と同じくらいに他人を信頼できるようにもなる。日本の教育はここをすっ飛ばしているから、苦しい人がどんどん増えているじゃないかというのが私の持論だ。

夏目漱石がこんな言葉を残している。
「他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬する」

先ずは、ここからがはじまりだと思う。
自分を楽しませる時間をつくる。
これがとても大切なことだと思う。

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