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ミステリアスなお兄さんは好きですか

記念すべき600冊目は、有栖川有栖著『孤島パズル』(創元推理文庫)になった。
2012年1月からつけている「読書メーター」での記録だ。

これまで読んだ600冊の話はまた次回に譲るとして、今回は映えある600冊目を飾ったこの本の話をしようと思う。


『孤島パズル』は有栖川有栖の書くシリーズもののミステリ、いわゆる「学生アリス」シリーズの2冊目だ。
なんでこのような通称かというと、有栖川氏は「アリス」シリーズを2種類書いていて、一つは”小説家・有栖川有栖“が語り手の「火村英生シリーズ」、もう一つが“学生・有栖川有栖”が語り手の「江神二郎シリーズ」なのだ。
この二つの作品は同一世界線ではなく、一種のパラレルワールドとなっている。
学生アリスシリーズは、時代設定が1988年~1990年のため、誰もケータイを持っていないしインターネットも使っていない。
一方の作家アリスシリーズは、書かれた時代に合わせて背景がアップデートされていくので、昔の作品のアリスはケータイ嫌いだが、最近のアリスはスマホを活用している。


さて、わたしは学生アリスシリーズが大好きだ。
というか、江神二郎が大好きだ。

この江神二郎なる探偵役は、京都英都大学文学部哲学科の4回生。
シリーズ開始の時点で留年2回目、4作目の『女王国の城』では4回生4年目の28歳で、英都大学推理小説研究会の面々からは“長老”扱いされている。
頭が悪いわけではないのに、延々と留年を繰り返す謎の上級生。


推理小説は大別して2つに分かれる、とわたしは思っている。
一つは、パズルを楽しむための作品で、登場人物は作品の駒としての役割が強いもの。
こういった作品は、単作であることが多い。
もう一つは、決まった探偵役が活躍する作品で、探偵役のほかに“ワトソン役”がいることが多く、ワトソンが語り手を務める場合が多い。

江神シリーズは、いうまでもなく後者だ。
ワトソン役は、探偵役よりも能力的に劣っている。
ワトソンから見たシャーロックは、考えていることがよくわからなかったり、理解できない行動をとったりする。
そして、無駄と思われていた行動や証言から、魔法のように真実を導き出す。
ワトソンから見たシャーロックは、どこかミステリアスで掴みどころがない。

そして江神二郎は、探偵役ならではのミステリアスさをもった人物なのだ。


探偵小説というと、注目されるのは探偵役ばかりだが、アリスシリーズのよさは語り手であるアリスによって発揮されている。
助手役は、フレンチでいうところの、メインディッシュのソースだ。

いきなり肉だけをドカンと出すお店が流行ったりもするが、フレンチの真髄はソースである。
上品に調理されたステーキにかかるのは、和風アレンジをされた醤油ベースのソースなのか、それともバルサミコ酢を煮詰めたものか。
季節のフルーツを使った甘味のあるものか、それともマスタードの辛味を活かしているのか。
それによって、メインディッシュの味わいは変わってくる。
前菜や付け合わせの種類までも支配するのが、実はソースの部分なのだ。

作家アリスシリーズの探偵役火村は、アリスと対等の友人関係だ。
アリスは友人の才能を認めてはいるが、そこに上下関係はない。

一方学生アリスシリーズは、アリスは江神の後輩にあたる。
しかも、新入生で現役生のアリスにとって、26歳で留年を繰り返す謎の先輩は、どうしたって興味と憧れの対象となる。
アリスの目を通して見る江神は、一種の偶像なのだ。

ところで、江神シリーズの語り手はアリスだけではない。
2作目『孤島パズル』で登場するマリアも、3作目『双頭の悪魔』で語り手を一部受け持つことになる。
アリスと同期のマリアからしても、江神さんは年上の謎のお兄さんだ。

そして、マリアの目を通して見た江神さんが、なぜか、ものすごく、かっこいいのである。
(そういう意味で、シリーズの中でわたしが一番好きなのは『双頭の悪魔』なのだが、それが600冊目にならなかったのはちょっと残念ではある。)

いわゆる“雪の山荘”シチュエーションで孤立したマリアを、推理小説研究会の面々が救出に来る場面があるのだが、見事に囚われのヒロイン・マリアのもとにたどり着くのが、江神さんだけなのだ。
窓から嵐の夜を眺めるマリアの目の前に突然現れる江神さんは、まるでロミオかラプンツェルの王子である。
(注:恋愛要素は全くないので安心してお読みください)

アリス視点でも、江神さんはなかなかの2枚目である描写はされているのだが、マリア視点だと男前っぷりに拍車がかかっているように見えるのは、読者の欲目なのか、それとも作者の手腕なのか。

同性からみた謎のお兄さんと、異性からみた謎のお兄さん、両方が楽しめる江神シリーズは、まるでミックスソフトクリームなのだ。
バニラだけでも、チョコだけでも美味しいし、両方同時に食べても美味しい。
しかもお値段は変わらない。
とてもお得で、魅力的ではないか。

そんな謎のお兄さんの魅力は、4作目『女王国の城』でさらに深みを増す。
今度はこれまで比較的影の薄かった(といっても十分キャラの濃い)、推理研の先輩も大活躍し、江神さん自身の謎にも迫っていく。

江神さんは何を思って、延々と大学生を続けているのだろうか。


江神シリーズは現在長編が4作、短編が1作。
まだまだ江神さん自身のミステリーは解かれそうもない。

早く謎を解いてほしいという気持ちが半分。
謎は謎のまま、その美しさを留めていてほしいという気持ちが半分。


”「俺らがしびれたのは『密室』なるものであって手品やない。…… 
ありのままの密室にまた会ってみたい」”
”「俺は『密室トリック』より『密室』のほうが好きなのかもしれん」”
(『孤島パズル』pp.290-291 )


わたしも、江神さんの謎の種明かしよりも、謎に満ちたままの江神さんのほうが、好きなのかもしれない。

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