才能とは何なのか?

自分に才能があるかどうか不安だ。

 

才能がなければ上手くならないのか? 

 

これは上達を目指した時ほとんどの人が一度は考える事だと思います。

私も例外なく若い頃はこの才能の問題に苦しみました。

 

 映画の特殊メイクの仕事がしたいという意気込みだけで18歳でアメリカに渡り、才能がなかったらどうしようという不安どころか、私にとってそれは恐怖ですらありました。

 

自分自身才能はないと今だに思うのですが、しかしここで言う才能というのは、世間一般で思われている才能の意味合いのことです。

 

それはおそらく、練習をあまりしなくても初めから上手である、とか、子供の頃から人より抜きん出ていたといったものだと思います。

 私は決してそのような素質はありませんでした。

 

しかしながら、全くできなかった私が今では結構なレベルのものが出来るようになり、さらには多くの生徒たちを偉そうに指導しているわけですが、その中で常に才能とはなんだろう? と考えてきました。

 

ここでは才能に関する自分なりの考えを解説したいと思います。

 

少しでも才能で苦しんでいる人たちの希望になればと思います。


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映画パシフィック・リムのロボットの造形中
 

まずは才能とは何なのかという事から説明したいと思います。

 

人を山に例えてみて、才能があると言われている人ほど高い山という事にします。

 

世の中にはいろいろな大きさの山があります。

 

日本国内では、富士山などは3700m、八ヶ岳2899m、浅間山2568m、阿蘇山1592mといろいろありますが、阿蘇山から見れば富士山はとてつもなく高いと感じると思いますが、八ヶ岳から見たら富士山はそれほど高くないと感じるのではないかと思います。

 

人は自分では実力が測れない人に対してあの人は才能がある、と感じるように思えます。

それは阿蘇山から富士山を見るようなものです。

しかし八ヶ岳から富士山を見ても、それほど高い、つまり才能があるとは感じないのではないかと思います。

 

そして富士山は日本では一番高いですが、世界にはエベレストとか9000m近いとんでもない高さの山があります。

 

それと比べてしまうと、富士山級の高さでも、富士山にとっては才能があると思えないのではないかと思います。

 

要するに才能というのは、そこに届いてない人が見上げて見た時のその人の評価なのではないかと思うのです。

 

 「山」というのは土の「盛り上がり」が高くなったものですが、どの高さになれば「盛り上がり」が「山」と呼ばれるようになるのでしょうか?

 

ただの「盛り上がり」から見れば、「山」と呼ばれるものは自分には届かない、才能のある人だと思うとすると、「盛り上がり」と「山」、つまり才能のある人とない人の境というのはどのポイントなのでしょうか?

 

2000m以上が「山」で、1999m以下は「盛り上がり」?

つまり2000m以上が才能ある人で、1999m以下は才能がない人?

 

ずっと続けられる人が才能がある人だと言う人がいますが、ではどれくらい続ければいいのでしょうか?

 

10年?

 

だとしたら、9年11ヶ月と30日でやめたら才能がないと言うことでしょうか?

 

そんな事はありませんね。

考えてみると、才能があるかないかという判断は非常にあやふやで、周りの人が誰かを指して、あの人は才能があると客観的に評価した時しか才能というのは存在しないのではないかと思います。

 

多くの人から見らた、私は才能がある人の部類に思われているかと思いますが、私自身これが出来るようになったから才能がある人になったという明確なものがありません。

それよりむしろ才能なんてないと思っているわけで、結局それは勝手に他人が判断しているあやふやなものなのです。

 

ものすごく出来るイコール才能なのかもしれませんが、どれくらい出来るのか?というのは他と比べた時の客観的な比較でしかないのです。

 

 今は例えとして、高さという数値だけを取り上げました。

スポーツなどは、時間や距離など数値で測れる記録によって優劣が決まりますが、美術はそういう基準は存在しません。

 

芸術家を、今度は山の形で例えるとしたら、いろいろな形になると思います。

曲がった山や、穴の開いた山、人の顔の形のような山もあれば、真ん中が裂けてる山があるかもしれません。

 

曲がった山が才能ある山で、裂けてる山が才能がない山とは誰も言えません。

それは単なる個性であるからです。

どちらが大きいのか?というのも形が変われば判断は難しくなります。

 

ところが裂けてる山がある時期ものすごく人気が出て多くの人が見物に来た時、その山は才能がある山だと評価されるケースがあります。

 

ここでまた客観的な評価が出てきますね。

 

結論から言うと、

芸術的才能というのは、その人より低い人や、その人がもつ個性を持たない人たちが客観的に眺めた評価であって、時代が変われば評価も変わるかもしれないという割とあやふやなものなのではないかと思います。

 

 

だから、才能がないから上手くならないというのはただのやらない言い訳になります。

基本誰でも、正しく練習を重ねれば、やればやるほど上達する能力を持っているのです。

 

しかしそれでも出来る人と出来ない人の差はあります。

それはなぜなんでしょうか?

 

次回は『才能がなければ上達出来ないのか?』という事を書きたいと思います。

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