仏教聖典から。

弟子たちよ、今は私の最期のときである。
しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。
肉体は父母によって生まれ、食によって保たれるものであるから、病み、傷つき、壊れることはやむを得ない

仏の本質は肉体ではない、さとりである。
肉体はここに滅びてもさとりは永遠に法と道とに生きている。

だから、私の肉体を見るものが私を見るのではなく、私の教えを知るものこそが私を知る

弟子たちよ、わたしの終わりはすでに近い。別離も遠いことではない。しかし、いたずらに悲しんではならない。世は無常であり、生まれて死なない者はない。今わたくしの身が朽ちた車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示すのである。

悲しむことをやめて、この無常の道理に気がつき、人の世の真実のすがたに眼を覚まさなければならない。変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いである


 弟子たちよ、わたしは自らこの教えをさとり、おまえたちのためにこの教えを説いた。 
おまえたちはよくこれを守って、ことごとにこの教えに従って行わなければならない。

  だから、この教えのとおりに行わない者は、わたしに会っていながらわたしに会わず、 わたしと一緒にいながらわたしから遠く離れている。また、この教えのとおりに行う者 は、たとえわたしから遠く離れていてもわたしと一緒にいる

弟子たちよ、おまえたちはこの教えのもとに、相和し、相敬い、争いを起こしてはならない。水と乳とのように和合せよ。水と油のようにはじきあってはならない

  ともにわたしの教えを守り、ともに学び、ともに修め、励ましあって、道の楽しみを
ともにせよ。
つまらないことに心をつかい、むだなことに時をついやさず、さとりの花 を摘み、道の果実を取るがよい。


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