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はっきりさせなくても「自分らしさ」

もどき

テレビにて、HSPについてのニュースを目にしました。少し自分に当てはまる部分があるなーと感じましたが、これはADHDについても同様です。私は居酒屋やファミレスなど、様々な会話が飛び交っている空間が苦手です。一緒にいる友人たちの話が聞こえない上、周りの様々な会話が断片的に聞き取れ、様々な話題が頭の中で整理できなくなります。友人に何度も聞き返すことになってしまい、申し訳なさと辛さを感じます。

また、人が多い所へ行くと乗り物酔いのようになり体調を崩すことが多いため、人が多い場所を訪れることは少ないです。病院で診断されたわけではないので、私はHSPやADHDに少しだけ当てはまる「HSP・ADHDもどき」かもな、と思っております。

カテゴリを知り、
自分という新しいカテゴリを知る

自分のことを書かせていただきましたが「カテゴリに縛られなくても良い」という考え方もある、ということです。自分がどのカテゴリに当てはまるのか調べ、どのカテゴリも「なにかが違う」と感じることもあります。

それは良い事でも悪い事でもありません。
あなたを定義する言葉がないだけなのです

わかりやすくするために「カテゴリ」が存在し、人は理解しやすいため「カテゴライズ」したくなります。しかし「もどき」や「それっぽい」と軽く受け止めることも、手段の一つだと思います。時には「私は新しいカテゴリなんだ」と考え方を変えるのも良いでしょう。無理に自分の形を変えて、カテゴリという箱に当てはめるより、自分の形にあった箱を見つけたり作ったりすることの方が、自分の形を尊重することができます。自分の形を柔軟に変えることができる方は、既存の箱の中から選んでもいいかもしれません。

私はAセクシャルを知る前、自分がどの性的指向に当てはまるのか考えたことがあります。当時はLBGTしか性的指向の種類を知らず「どれも違う気がする」という印象でした。人を好きになることはありましたが、人間的に「好き」なので、同時に好きな人は複数人おり、付き合いたいと思ったことはありません。学生の頃、これを友人に話すと「それは好きじゃない」と言われたことがあります。当時は、私の感じている「好き」を否定されたように感じました。しかし今では、私の思う「好き」が私の「好き」と堂々と言えるようになりました。そう思えるようになったのは、様々なセクシュアリティがあることを知ったからです。定義されていないカテゴリでも、何も問題はないことを知ったからです。

「人を、恋愛的ではなく人間的に好きになる」というカテゴリを私はまだ知りません。私の知る中で近いものがAセクシュアルなため、私は「自称Aセクシュアル」であり「Aセクシュアルもどき」です。名前をつけるセンスがないため、自分のカテゴリに名前を付けることはできませんが、自分というカテゴリを持って今後も生きていくでしょう。


セクシュアリティについて悩んでいたり迷っていたりする方、実はあなたがいる場所に名前があるかもしれません。自分のいる場所に名前を付けてもよいですし、「○○っぽい」とあまり考えないことをしても何も問題はありません。


あなたは「あなた」というカテゴリに生きています。
無理に既存カテゴリに合わせる必要はありません。


少しでも気が楽になる方が増えるよう、お手伝いができたらと思い書かせていただきます。



「アカルク文学」という企画は中止になりましたが、少しでも興味を持つ方の目に触れたら良いな、と思いタグ付けをしております。

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