春分前夜のセンチメンタル【花にまつわる光と影と】
眩しいくらいの陽射しにふと見上げたら
だいぶひらいてきましたね、桜。
どうしても逆光で画像だと影になって暗くなってしまうので、肉眼で見た方がずっとずっと綺麗だとわかっているのだけれど、通りすがりに撮らずにはいられませんでした。
こんなふうに、幹に直接ポンポンみたいに咲いているのも
かわいくて大好き。
光を浴びて嬉しそうに見えません?
この時間は、コートがいらないくらいポカポカで信号待ちをしながら「あぁもう日傘の季節なんだなぁ」なんて考えていました。平和、、、
リクルートスーツにベージュのトレンチコート、というおそろいのようないでたちの若い女の子たちがみんな同じ紺色の紙袋を提げていて、よく見たら“SWAROVSKI”のロゴ。会社説明会なのかな。(へぇ、この辺にあったんだ?)
彼女たちの爽やかさやフレッシュさがまた眩しくて、初心忘れるべからずでわたしもんばらなきゃだなぁ、とオフィスに戻ったら、『100日後に死ぬワニ』明日が最終回なのですね。
話題になっていたのをなんとなく知っていただけだったので、気になって一気に読んでみたら、、、せつなくてせつなくてたまりません。ちょっとどうしていいかわからなくなりますよね。結末――知りたいような知りたくないような。
古人無復洛城東 古人 復た洛城の東に無く
今人還對落花風 今人 還た落花の風に対す
年年歳歳花相似 年年歳歳 花相似たり
歳歳年年人不同 歳歳年年 人同じからず
劉希夷『代悲白頭翁』より
桜を見たあとで漫画を見たせいか、この漢詩の一節がずっと頭のなかでぐるぐるしていてとまりません。
作者やタイトルまでは知らなくても、この「年年歳歳~」の部分はご存じの方も多いと思います。
中学時代に習った時は「へえぇ、爺さんが昔を思い返してエモくなってるだけっしょ?」的な感想を抱いただけだったわたしですが、やはりインパクトはあってずっと記憶の片隅に残っている作品でした。歳をとるとともに味わいが深くなる、というのはこういうことなのだと。
三年前の冬に父を亡くし、そのあと迎えた春の間もずっとこの詩が頭から離れませんでした。春は気持ちがわくわくする楽しい素敵な季節なはずなのに、なぜか一方で悲しいことも思い出してしまうのです。光が明るければ明るくなるほど、そのぶん影は濃く、暗くなる、、、あの現象みたいに。
もしかして、同じように感じている人が多いから、そんな悲しみや切なさを忘れたくて、考えたくなくて、お花見をしながら大勢で騒いだりお酒を飲んだりするのかなぁなんて思ったり。
あぁ、せっかく明るい季節がやってきているのに、これ以上考えてしまうと重い重い気分になってしまいそうだから、今宵もこの辺で。ただの季節の変わりめのセンチメンタルだと思うの、きっと。
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