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良い人の呪いに侵されない為に〜神乃珈琲〜

うちの会社は人が良いから。

皆言う。正直、聞き飽きたよ。就活していた時から。
今の会社で自分の職場の長所を語る時、大半の人が「人の良さ」を挙げる。あんまりにもそうだから、私もいつのまにか「この会社は良い人ばかりだ」と思うようになっていた。

でも思い返してみると、就活時代に色んな会社の話を聞いて、どの会社だってそう言ってたわ。

そもそも「良い人」って、なんだ。

「あの子は嫌われているから近付いちゃ駄目だよ」と教えてくれたのはいつだって「良い人」だった。
私の家族からお金も思い出も色んなものを奪った彼女は、社交的で信仰深く、関わる7割くらいの人にとっては「良い人」だったのだろう。
私にとって「良い人」であるはずの家族は、その人のことを「クズ」と呼んで声や瞳に嫌悪の色を滲ませる。

「良い人」って、なんだ。

結局は自分にとってどうか、ということだ。
周りに自分にとっての「良い人」が少ないと感じたら、転職なりなんなりで「良い人」に囲まれた環境を探す。
だから、「うちは良い人の多い会社だよ」と豪語する会社が沢山あるのは必然的だ。


しかし「良い人」という概念は盲目的な危険性をはらんでいて、あまり固執し過ぎてはいけないのかもしれない。

自分にとっての良い人が悪い人の行動をとると、勝手に裏切られたような絶望感に苛まれる。良い人Aと良い人Bから正反対の意見を言われたら、何が正しいのか分からなくなる。良い人から注意されると、自分が悪になったように感じられて羞恥心に埋もれて死にたくなる。

だから時折、自分が良い人の呪いに侵されていないか見直したい。
周囲の環境をガラリと変えてみたり。そこまでしなくても、世の中には色んな人がいるんだなあと気が付ける時間を設けてみる。

カフェ巡りは私にとって、そういうことのひとつの手段にもなっている。
やってくる様々なお客さん、雰囲気作りの工夫、店員さんの個と企業性が混ざった唯一無二の接客に、ささやかな気遣いのアレコレ……。
ボンヤリと過ごす時間も大切にしたいけれど、狭く凝り固まった自分の視野を広げてあげることも十分な休息だ。


のんびり物思いに耽るのに、とても良いカフェがある。
神乃珈琲

初めて訪れた時には、苺のプリン・ア・ラ・モードを食した。

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なんていうかもう、全てという言葉じゃ足りないけどそれ以外の言葉が思いつかないくらい尊い。美味しいしサービス満点だし美味しいしお店の雰囲気も良いし美味しい。最高だ。

銀座のキラッキラな雰囲気に疲れて「さて喫茶店にでも入るか」と思った時、GINZA SIX、トリコロール、ノアカフェ、SONOKO CAFE...どこに行こうか自分の中で壮絶な戦いを繰り広げた後に辿り着ける終着店である。

今回食べたのは、苺から装いを変えてのモンブラン。

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苺を栗に変えたからこそ、トップはホイップクリームでなくマロンクリームに変えて。
プリンとモンブランという組み合わせはどうやら定番になりつつあるようで......。

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南瓜のモンブランとプリン…あぁいや、ここからは定番の「テ」も感じられない異常だ別の例でいこう。

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そう、まさにこんなん。オスロコーヒーの。

ここ数年、秋には時折見かける気がする。
おおぅ...そういえば12月になってしまった、マロン系スイーツはもう終わりを告げてしまったのか。

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プリンの黄色と茶色を秋色で覆い隠して、隠しきれていない感じ、可愛い。
モンブランは、高級ホテルとかのだと巻きが完璧過ぎる程に整然としたタイプもあるけれど。

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プリンの上にあるのはクシュッとした感じの絞りが良い。
その方がツルンと滑らかな舌触りによく絡んでいく気がする。

透明感ある卵の甘さに色濃いマロンのねっとりとした甘さが厚塗りされて。カラメルの苦みがフワリと香り、甘さをそこに繋ぎ止める。

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茶色と黄色の栗を交互に並べているところに物凄いセンスが光る。
この配色…プリンと同じじゃないか!!
奇跡的な調和である。
栗たちが「俺達もプリンだぜ」と言っている。違う、お前は間違いなく栗だ。食べて証明してやる。

プリンとマロンクリームとはまた全く異なる、しっかりと歯を使う食感がそこにある。どっちの栗が好きとかあれば、食べる順番にも偏りが出てくるものなのだろうか。私はどちらも愛しているので、バランスよく交互に食べる。茶色から食べ始めた。理由は無い、なんとなくだ。そして黄色で食べ終わ…らない。

私はプロフェッショナルなので、茶色の栗と黄色の栗を少しずつ、それにプリンとマロンクリームを少しずつバランスよく残して、最後の一口は全部を一度に放り込む。
秋が口に広がる。栗3種vsプリンならプリンらしさが消えてしまうかといえば、そんなことは無い。寧ろ「栗」という存在の隙間をぬって、ちゃんとベースとして輝いている。流石は私の生まれる遥か昔から、古くさいなんて言われる事も無く今でも主力のスイーツとして多くの人から愛されてきた王道スイーツ・プリンちゃんだ。

苺との組み合わせも瑞々しく愛らしさ満点で素敵だったが、栗の衣装も大変似合う。



人と同じで、「この店は良い店!!」と決めつけていることも結構あるのかもしれない。そういう「良い人」「良い店」フィルターで自分の心が捻じ曲げられる危険には注意が必要な一方で、やっぱりそれは必要なものでもあって。好意的に思っているからこそ、多少何か失敗があっても許せるし、良いなと思えることはより幸せに受け止められる。

そのバランスをとるために。
色々な「良い」に触れること、それに、自分が何に「良い」と感じるかを知ることがまずは大切なのかな、と思う。

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