おやきの「お」が焼けない
誰にも「欠かせないもの」があると思うが、生後10ヶ月も半分を過ぎた我が娘にも欠かせないものがある。
おやき、だ。
現在絶賛離乳食をもぐもぐしている娘は、私がスプーンで食べさせるよりも自分の手で食べ物をつかんで口に入れる方が好きらしい。
私が右手で持つスプーンを払いのけ、私の左手にある容器に全力で手を突っ込む。
形のある食べ物ならまだマシだが、細かく刻んだ野菜の入ったお味噌汁、とかだと片付けのことを想像してしまい、無の感情を保つのに必死になる。
まあそれは大人目線の都合であって、娘にとって食べ物を手でつかむということは成長過程に必要なことだ。娘が自分の手で食べたいと言うのなら、母としてはそれを全力で応援したい。
そこで、手づかみ食べには「おやき」が大活躍するのだが、私はある問題に直面した。
「お」が焼けないのである。
私は料理や裁縫、工作、絵など、手を動かすことが大の苦手だ。子どもに自作の服を着せた友人を褒めると「いやいや、私なんか不器用だよ」と言われあーきたきた、日本人によくあるパターンのやつね、無意味な謙遜、素直にありがとうって言えばいいのにを笑顔の裏側に隠しているほど、私の不器用さは比にならない。
私にはこういう物づくりのセンスがないんだ。決してインスタは見てはいけない。
今は専業主婦であり私と夫の平日の夜ごはんは私が用意しているが、私が包丁やフライパンなど調理器具を使うとロクなことにならないのはわかっているので、専ら生協の「チンするだけ」系のごはんになっている。
このことに何か意見がきそうだが、ここではさらっと流してほしい。私は「それくらい料理が苦手」ということを伝えたいだけだ。
だから、離乳食の時間はほんの少し困っている。
娘に食べさせたい「おやき」。
私のイメージは、こんな感じ。
※画像は和光堂のサイトから拝借しました。
ああ美味しそう。これなら私も食べたい。
娘も手でつかんでパクパク食べてくれそうだ。
よし、私もこれを作ってみよう。
おやき、焼き焼き~お、や、き~
これではだたの「やき」である。
いや、私は本当に料理が苦手なんだ。小麦粉大さじ1が15gじゃないことを最近知ったし、小麦粉を使えばなぜか辺りが粉まみれになるし、そもそも測りを使わずに作るからいけないのもわかっている。
上記のおやき(と言えるのだろうか)も、小麦粉の量が少なく生地がべちょべちょになった結果、うまく形にならなかったのだと思う。焼きすぎた自覚もある。
ただ、私は料理において、自分の失敗の原因がわかってもすぐ次に活かせない習性がある。
これはもうどうしようもない。
思うに、おやきとは、先ほどの
この丸くて程よい焼き色がつくことで初めて完成する食べ物だ。
いくら同じ材料を使ったとしても、この形にならないと街頭で「さあこれは何でしょう!」と質問しても「おやき」と言ってもらえない。
「おやき」が「おやき」として完成するためには、それ相応の姿かたちが必要なのだ。
だから、私が作ったものは、材料は合っているけど見た目に問題あり、ということで、完成系ではない「やき」。
それを言うと、私がおいなりさんを作れば酢飯を詰めすぎて揚げが破れて「いなりさん」になるし、お好み焼きを作ればひっくり返すときに分裂して「好み焼き」になる。おはぎを作ればあんこが飛び散って「はぎ」になるし、おばんざいを作れば「ばんざい」になる。バンザーイ\(^ω^\)( /^ω^)/バンザーイ
おばんざいって何だ?
そう、私がおやきの「お」が焼けないというのは、料理を完成させる丁寧さが足りない、ということだ。
料理において、「お」は大事なのである。
ただ嬉しいことに、私のおやきが「やき」になってしまっても、娘は喜んで食べてくれる(多分あれは嬉しい顔だ。きっと喜んでいる。そうに違いない)。
このニコニコした顔を見ていると、これから何十年たっても、娘にごはんを食べさせてあげたいなと思う。文字通り私がスプーンを娘の口に入れるのはあと少しかもしれないが、私が生きている限り、長く。
自分が親になって、「子どもにごはんを出す」ことの意味がわかった。
私は子どものころは両親に反抗ばかりして、物を投げたりこんな家出たいと喚き散らしたり、親を悲しませてしまったと思う。
けれど、私がどんなに反抗しても、親とケンカしても、母は毎日3食ごはんを作って出してくれた。
当時は気づかなかったけど、今ならあのときの母の気持ちがわかる。
親は、子どもが食べている姿を見ると幸せになるんだ。
高校卒業後に上京して1人暮らしを始めると、母からよく「ちゃんとご飯食べてるの?」と聞かれたけど、将来娘が家を出たら、私は同じことを真っ先に聞く自信がある。
私は本当に料理が苦手だけど、娘のためならごはんを作り続けたい。
今は離乳食で精一杯で大人のご飯が申し訳ないくらい適当になっているが、今後娘も大人と同じものを食べれるようになると、きっと私張り切るんじゃないかな。と言っても、私のできる範囲で、だけど。手間がかかる料理は、パパに頼もうね、娘。
あれから何度も練習した結果、これは「おやき」と言って良いのではないだろうか。
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