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大人になると年越しの興味も何もなくなるね

子どものころは「新しい年になる」と言うと世界が変わってしまうような、歴史的大イベントのような感覚に恐怖と興奮と好奇心が入り混じった大晦日を過ごしていたけれど、大人になると「明日は1月か~」くらいにしか思わなくなった。いつもの祝日と同じ感覚。または11月30日の次の日に12月1日が来るように、単に12月31日の次の日が1月1日であるというだけ。私が何時まで起きてようが19時前に寝た1歳の娘は確実に6時半前後に起きるから私も早く寝ないと、と思って過ごした大晦日。なんとなく、0時過ぎまでは起きていたけれど。眠かったな。

それでも年末年始というのは夫の仕事がお休みになる期間であり、我が家ものんびりと過ごしている。大掃除もした。お雑煮も作って食べた。おせちは伊達巻だけ作って食べた。娘が家の中を走り回ったり、おもちゃで遊んでいるのを夫婦二人で笑いながら見ているのも、いい時間だなぁと思ったり。

そうして過ごす中で、私がきゅんとした夫の言葉がある。

「子どもがいると年末年始が楽しいな~」


現在1歳4ヶ月の娘。もちろん手がかかる。遊び相手になるだけでも疲れる。それでも、子どもがいると「やること」がある。退屈しない。子どもを見ているだけで笑える。私も、子どもがいる生活は良いなって思っていたところに、夫のこの一言が聞こえて嬉しくなった。そうなんだよ。子どもがいると年末年始が楽しいのよ。年末年始だけじゃなくて毎日楽しいんだけどね。2人だけの年末年始を思い返してみると、初詣に行くなど外出はしやすかったけど、「何する?」と暇な時間もあったっけ。
私たちは、娘が生まれてからの方が毎日楽しく過ごせてるな~と改めて思う。
2021年は家族がもう一人増える予定だから、もっともっと楽しくなるかな。



少し前に、2021年の出生数は推定70万人台というニュースが出た。
私が生まれた年、1991年の出生数を調べてみたら、122万人だった(参考URL)。衝撃だ。

2021年に出産予定の我が子は、これからの時代、どう生きていくのだろうか。私が生まれた頃と現代のこの30年でもいろんなことが変わっていったから、これからの30年も今では想像できないくらいの変化が起こるだろう。

人がいないというのは、あらゆる面で危険だ。仕事の有無でも、治安の面でも、助けるという意味でも。私の地元なんかはどんどん過疎化が進んで、帰省するたびに街が廃れている気がする。今ここで事件に巻き込まれても目撃者誰もいないだろうな、と怖くなるし、私のできる仕事はここにないな、と思うし、ここでは自分の望む医療機関を受診できないな、と思う。都会は家賃が高いけれど、「選択肢」があるから私はここにいる。夫も同じ考えだ。

都会だって、若い人がいなければ生活を維持できなくなるだろう。例えばマンションのエレベーターが壊れても、直せる若い人がいなければ皆家から出られなくて孤立する。30年後、40年後にそいういう社会問題が出そうな気がする。田舎にいても、都会にいても、私が高齢者と言われる年になる頃には高齢者も若者も住みにくい国になるのかなと考えてしまう。
人が少なくなるのはどの分野においてもリスクがほとんどではないか。だから出生数の低下が続くのは恐ろしい。「去年今年はコロナだったから」の一言で済む問題ではない。

子どもを生んでも手当すらもらえない世帯が出てくる意味がわからない。今でさえそう思うのに、私の子どもたち世代が将来「子どもを生む」という選択肢を持つかどうか、それさえももはやわからない。所得に関係なく子どもを生み育てる選択をした人には経済的支援があるべきだろう。これからの時代は特に。
おざなりな少子化対策や出生数低下の現実を見ると暗い気持ちになる。


ただ、そんな世の中でも私と夫は子どもを生み育てる選択をしたわけで、どんなに辛くても子供たちには「親は子育てを楽しんでいる」と思える姿を見せたい。将来の子供たちに「いつか子育てしなさい」と言うつもりは全くないけれど、「お父さんお母さんはあなたたちを育てられて幸せだった」と伝えることでどれほど子どもの自尊心は満たされるだろうか。どんな時代であったとしても、家族3人、4人、5人・・・??とみんなで笑って過ごせた時間を心の糧にできるような、そんな暮らしがしたい。


まあ将来のことってある程度考えることは必要だけどその時にならないとわからないことがほとんどで。だから、考えすぎず、今を優先しないとな。
家族みんなで楽しく過ごす。これが一番。


今年も良い年になりますように。


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