かってる猫のはなし

蝉がぶつかってきたり、蝶々に100%の確率で遭遇したり、ハチに刺されてみたり。生きとし生けるものはすべてCHOCOにまとわりついてくる。けれどもそんなに「すき」というわけではない。子どもへの母性は若干わいたが(わが子以外とも小一時間なら遊べるレベル)、生き物へはからっきし。嫌ってはいないし、苦手でもない。かわいいとは思う。

8年くらい前になるだろうか、旦那が仕事場で資材につぶされそうになっている仔猫を見つけた。最初は母猫と仔猫が数匹。引っ越しの最中だったのか、1匹、1匹母親がくわえてどこかに連れていく。けれど最後の一匹だけは、何日経っても連れていってもらえなかった。建設中の建物は様々な業種のオッサンたちがひっきりなしに出入りする。猫がいると知らない人たちがボンボコ資材を積み重ねていく。かわいい・かわいそう・あぶない…見ていられない、これじゃいかんと「残された一匹」を連れて帰ってきたのだった。

キジトラの女の子。名前は息子が「ぽてと」とつけた。何度か動物病院に連れていくうちに、かゆがり、くしゃみがり、苦しがる旦那に気づく。彼、猫アレルギーだった。だけどなぜだか「ぽて」だけは平気で、こねくりまわしても、毛が舞おうとなんだかケロッとしている。それも含めてなんだか運命チックだと、みんな気まぐれに可愛がり、ぽても気まぐれにそれに応じた。

息子は大きくなり、2人目が生まれ、3人目が生まれ、何度も春が来て、学校に行くようになったり、自分の友達と約束をして遊びに行くようになった。その間も「ぽて」はじっと窓の外を見たり、たまに人間の相手をしたり、くるりと丸まって眠ったり、気まぐれにゲロをはいたりした(毛玉)

玄関のドアを開けても、「ぽて」は決して外に出ようとしない。2・3歩出たことがあったけど、完全に腰がすくんでいたのをCHOCOは見逃さなかった。外にはたくさんの人がいて、たくさんの草が生えていて、見たこともない生き物がいて、きっと敵もいて、楽しいこともあるかもしれないのに「ぽて」はそれを知らないままここで一生を終えるんだろう。「ぽて」の世界には「わたしたち」しかいない。それが、全部。

それをわかっていながら、CHOCOは自分の生活を優先する。

「ぽて」が「かかりきり」を望むかと問われればそれは違うのかもしれない。けれどあまりにも、悲しい。何を考えているか、どうしても、わからない。だから、動物を飼うことは嫌なのだ。

今、ぽてはめちゃめちゃ元気だ。昔と比べて寝ている時間は多くなったけど、ちょっかいをかけたら跳ね回るし、「ごはん」「みず」「まま」くらいなら言えるようになった(マジでそう聞こえる)

前に息子が「ぽてもそろそろ婆さんやな」と話し始めたことがあった。

「もし、ぽてが死んだら、俺はめちゃめちゃ泣く。1日ずっと家にいて、ご飯も食べんとずっと泣く。そんで次の日はちゃんと学校に行く。それが土曜やったら、日曜も泣いて、月曜からちゃんと行く」

ぽてのことは何もわからないけど、CHOCOがぽてだったら、それがいいなとおもう。なんなら、CHOCOの時もそれがいい。

ぽては、今日も息子の脱ぎ散らかした服を一生懸命こねこねしている。

「くさいからすきなん?それとも息子が好きなん?」

「まま、みず」

「洗濯機回してから。それも洗うから貸して」


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