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SNSは対話の場所のひとつ

こんにちは、わたし。
自分の中での自己対話が苦手なので、
この際外在化させて対話を試みようとしているよ。

レンタカーを借りて、せっかくだからとおうちを出たのはいいけれど、沖縄は緊急事態宣言中。

閉まっているところや早く閉まるところも
まぁまぁあってね。いやはや。

1ヶ月弱、SNSを保留にしてみたね。
どうだったのだろうか?

しばらくは発信しないだけでなく、ひらきもしないで、自分に目を向けるに集中して。世界にわたししかいないというのは何ともええもんじゃな、だったね。自分のことするだけで結構あっという間に1日が終わる。

そもそも、なんで保留にしたかといえば、
自分と向き合うために集中するぞって決めたのに
全然集中してなくて、何の身にもなっていなかったって痛感したからだったね。
このままじゃわたしが消えてなくなる、という危機感すら覚えた。

なにかを発信しようと思うと、
どうにもこうにも外に目が向いてしまって。
ひとからどう思われるか、ひとからどう思われたいかばかりを気にして疑ってかかりはじめたらぎこちなくなっちゃって。

それで、一旦やめよ、もーやめよと。
と、そんな日々の中で、わたしの中で生まれる言葉を出す先がなくなった感覚もだんだん出てきて。

日記なんかもかくけれど、なんだか気がのらない。残したいのに残さなくていいかって。いずれ言葉にしたい時が来る。そんな風にも思ったけど、今のわたしがどこにも残らない、人にどう思われるか気にしてかかなくなって、かかないことで自分に言葉を残さなくなる、それでいいんだろうか?というか、SNSにかくということは、わたしとの対話のひとつの手段のひとつだったのではないだろうか?

自分の中で対話するのもしていくけど、
外への発信を通して、少し離れて自分の言葉を眺めるってことがわたしはしたいんじゃないか?

そんな風にうーむと。ここまで思ったところで、発信をどうするかは分からないけどnoteでわたしのこういうなんだかんだのプロセスをかいてみることからやってみようかな、と思い。

そして今に至る。

はなす(話す)は
はなす(離す、放す)ことだと
わたしは伝えている。

自分の中にあるものを一旦出す。
外在化することで、いま自分がどんなパズルと向き合っていて、どこにいるのか。
ピースがみつからないのか、どこにはいるかわからないだけなのか、そんなことを眺める。

言葉を眺める、そんな機会がはなすことでできるんじゃないか?どうかな?

と、これを機に、少しずつSNSを再開し始めた。
自分のために残すんだ、そう割り切るにはもう少し時間がかかりそうだけど。ちょっくらやってみようかねぇと言う気持ちにはなっているなーう!

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