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一歩下がって歩いたら

今はもう、そのような文化は以前よりも薄まっているだろうが、

九州男児

と言う言葉があったように、
九州地方の性意識は国内でも特に強く
亭主関白気質の人が多いと言われていたのは有名な話。

だが、別に九州に限らず
東京都世田谷区の学生時代も

「自分より前にでない、自分を立ててくれる相手(女性)」
「お酌してくれる人」
「飲みの場でサラダ取り分けてくれる人」

が良しとされてきた気は、する。
し、何なら私も大学時代、

栄養科=女性の鏡

として学内では扱われていたため、
他の学部の学生との飲み会はいつも取り分けていた。

今となっては、それは自発的だった気もすれば
義務感からそうさせられていたのかはもう思い出せないが。


これは私の偏見も含まれている可能性は0ではないが

意見を主張した時に「女のくせに生意気な」
「可愛げのないやつめ」と言われることはあっても

一歩下がった際に
「女のくせに意気地が無いな」と言われることは無かったような気もする。

きっと、「女らしさ」とはそういった事を
さすのだろう。

従って一歩下がって相手を立てる女性像に対し
嫌悪感を抱く人は少ないのではないだろうか。

だから、事をあらだてないように
その場が丸く収まるように、
口を閉ざしてしまう女性が多いのではないだろうか。

また、日本人女性に対して海外からは、
「家事をすべてやってくれる」
「従順で文句を言わない」
「白人が好きだからすぐについてくる」

といったような、
人に合わせる、男性を立てる人が多いという印象を持たれがちなのも一つの事実だ。

いわば「わがままを受け入れてもらえるから」好まれる、
都合のいい存在だと世界から認識されていると解釈してしまう私はひねくれ者だろうか。


こんな風に国際的に視野を広げたとしても、
「一歩下がる女性」は良いとされてしまう。

つまり声を上げづらい風潮はあるし
それに敢えて抗う必要性を感じていない人も沢山いるのが現実なのではないだろうか。

しかし、口を閉ざしていては現実は変わらないのである。


世の中へ不満やケチをつけたいつもりはない。
ただ、今自分の中にある何かこうした“モヤ”の輪郭を
もっとはっきりさせたいだけなのだ。

それはきっと、自分以外にもその正体を
知られるもんなら、知ってみたいと思っている人も
もっといるだろうから。

今日はそんな
伊藤野枝をリスペクトした話を。
おしまい。

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