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子どもは問いの天才だ ~ なんで太陽は光ってるの? ~

ある子どもの無垢な問い

「なんで太陽は光ってるの?」

移動中のバスのなかで母親にこんな質問をしている子どもがいた。その母親は「なんでだと思う~?」と子どもに聞き返し、子どもは自ら発した問いについて考えている表情をしていた。

太陽が光っているのは、水素の核融合反応で光と熱が放射されているからだ。でも、まだ「水素」も「核融合反応」も、彼の世界観には存在しない。

だとしたら、彼の無垢な問いにどんな答えをすればいいのだろう?

子どもが知りたいのは「原因」ではなく「目的」

これはある人から聞いた受け売りなんだけど、子どもが「なんで?」と聞くときに本当に知りたいのは、その原理や原因ではなく、その目的なんだそうだ。

さきほどの問いなら「なんのために(あるいは誰のために)太陽は光ってるの?」といったところだろう。それなら「太陽が光っているのは、いきものを温めて元気にするためだよ」とか言ってあげられるかもしれない。

だとしたら、子どもの問いは、原理原則を発見しようとする科学者の好奇心というよりは、世界がどう関係しあっているのかを読み解く人文学者のそれに近いと思う。

科学的な正しさよりも、関係性のなかで私たちが生きていることを受容しながら成長していく。そのための問いなんだろうなと思う。

問いを忘れた大人たち

子どもは問いで世界を解釈し、世界観を構築していく。それはとても柔軟で、大人のそれよりも遥かに多様性に富んでいると思う。大人はいつのまにか、いろいろなモノゴトに名前をつけ、知った気になり、現状を受け入れ、問うことをしなくなっていく。

だから、自分のなかに新しい世界観を構築したければ、子どものように問いかけるのがいいんじゃないかな。

ただ、大人が問うときの「なんで?」には少しネガティブな雰囲気が伴うことがある。それは、子どもが問うような目的ではなく、原因に着目しているからかもしれない。

「なんでうまくいかないのか?」「なんであの人はああなのか?」こういった問いは過去や原因に着目している。子どものように無垢な「なんで?」を繰り出せなくなっているんだと思う。

未来に投げかける問い

だとすれば、大人は問い方を変える必要がある。過去の原因よりも未来の可能性を問うような問いだ。それは「どうしたら○○できる?」とか「もし○○したらどうなる?」といった問いだ。

大人はこれらの問いを使って、現状に対するポジティブな代替案を検討することができる。子どもが世界観を構築する問いをするように、大人は世界観を更新する問いをしていくことができる。

子どもは問いの天才だ。その問いは世界の関係性を探る。そして、問いを通していろいろなことを知った大人は、その問う力を今度は過去や、そして未来に向けていく。

大人の問いは現在の世界と過去や未来の世界の関係性を探るという点で、時間軸を行き来するタイムマシンのような自由度を持っている。それをもっと自由自在に乗りこなせたら、楽しいことこの上ないはずだ。

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