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出会いの暴力性

あの人との出会いで人生が180°変わった!」みたいな劇的な変化のほうが耳目を集めやすい。でも、実際に私たちが経験しているのは日々のちいさな「1°の変化」だと思う。

そのちいさな変化とささやかな日々の積み重ねが、あとで振り返ってみたときに大きな違いになって現れるんじゃないか。

わたしはそういう、何気ない出会いのなかに、お互いの人生を変えてしまうかもしれない暴力性があることに関心があります。

ここでいう暴力とは、合理性を欠いた強制力のことです。

わたしたちは「1°の変化」を強制されているとは思っていませんが、それは気がついていないだけなんじゃないでしょうか。

もちろん、わたしたちは出会いそのものやその暴力性によって傷ついたりすることもあるけど、そのおかげで人の多様性を体感し社会の輪郭を掴むことができる。

それに、その暴力性の刺激のなかに、生きる喜びや生の実感みたいなものも紛れ込んでいる。

わたし自身も誰かの人生を意図せず変えてしまったり、誰かに人生を変えられてしまったりしているのでしょう。

それなら、みなさんもわたしも、今の自分は過去に出会った全ての他者による合作のようなものだなあ、と思います。

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