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図と地の関係 ~ 図は地によって活かされる ~

図は主役、地は脇役

「図と地」は「前景と後景」だ。私たちがなにかに注目するとき、注目されたものが図(前景)となり、注目されなかったものが地(後景)となる。

たとえば、以下の画像のように図と地が曖昧になると、そこに何があるのかすらわからなくなる。

画像1

この画像の右側には地面に鼻をつけたダルメシアンが写っている。そして、それを認識したあとは、ダルメシアンが「図」として浮かび上がってしまって、この画像を初めて見たときのようには見れなくなる。

このように、図と地が明確になって初めて、全体像がはっきりしてくる。そして、私たちは「図」に目を奪われやすい。つまり、図は主役で地は脇役もしくは舞台装置だ。しかし、芝居の世界と同様、主役だけでは全体のストーリーは進まない。主役には脇役や舞台装置が必要なのと同じように、図には地が必要なんだ。


視覚体験以外にも「図と地」をあてはめる

あらゆる絵画も、図と地の両方がなければ成り立たない。モナ・リザも、あの荒涼とした風景のなかでこそ、その微笑みが異様な魅力を帯びる。

花柄の生地のも、図としての花が重要なのはもちろんだが、地としての背景が乱れていては花柄を際立たせることはできない。

画像2

このようにもともと視覚体験における言葉ではあるが、「図と地」の補完関係は私たちの普段の活動にも当てはまると思う。

例えば、ハレとケ、もしくは非日常と日常。日常という「地」を丁寧に生きてこそ、非日常という「図」を心底楽しむことができる。そうでなければ、非日常は日常からの逃避になりかねない。

また、企業におけるオペレーションとイノベーション。日常のオペレーションという「地」を丁寧に磨き込んでこそ、イノベーションという「図」の機会を掴んだり生み出したりできる。また、そのイノベーションを推進するのにも、結局はオペレーションが伴わなければ世に出ることはない。

コミュニティにおけるオンラインとオフラインもそうだ。オンラインという「地」の場面で関係性の萌芽を生んだり維持することによってこそ、希少なオフラインという「図」の場面で熱量が生まれていく。オフラインイベントだけでは長期的なコミュニティを作るのは難しい。

わたしたちは「図」に目を奪われやすいが、その「図」は連綿と続く「地」によって支えられているんだ。そう考えると、今まで注目していなかったところに目を向けられるようになるかもしれない。


自分の「図」を引き立たせるための「地」はなにか?

私自身の活動についてはどうだろう。日常の様々な人たちとの雑談が「地」となり、難しいテーマを扱う議論が「図」になっている。やっぱり、「地」で培ったものが「図」を支えていると思う。

ハレの舞台や大好きな活動など、自分にとっての「図」の瞬間は誰しもあると思う。だとしたら、その背景にある「地」に着目し磨き込むことで、さらに「図」を引き立たせることができるかもしれない。

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