過激な議論

議論が苦手という人が持つ「過激な議論」のイメージを「穏健な議論」で変えていきたい

議論を仕事(ディスカッションパートナー)にして、議論のコミュニティ(議論メシ)をつくっている者として、会話中によくこんな発言を耳にします。

わたし議論ってなんか苦手なんですよね・・・

この気持ち、非常によく分かります。

「過激な議論」と「穏健な議論」

議論が苦手だと思っている人にとって、議論はロジカルシンキングなどのテクニックが必要だったりバチバチと発言が飛び交ったり、よけいな発言が許されなかったりするイメージがあるのかもしれません。

わたし自身、そういった「過激な議論」はあんまり好みではありません。

逆に、エモーショナルであることも良しとされたりお互いの発言に耳を傾けたり、よけいな発言によってむしろ発想が広がるような、そんな「穏健な議論」が好きなのです。

議論は対話の一形態

議論の本質は対話です。

対話は相互理解によって新たな価値観やモノの見方を獲得するコミュニケーションです。余談ですが、自分が変化するコミュニケーションの「対話」に対して、自分が変化することのないコミュニケーションは「会話」です。

さて、そういった対話の一形態として議論があるのですが、どういった対話が議論と呼べるでしょうか?

議論=創発的な対話

それは、創発性です。創発とはもともとこんな意味。

創発 = 部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れること

議論における創発性とは、対話によって新しい発想が生まれることです。対話を通じて相互理解が起きるだけではなく、そこから新たな発想につながり、さらにその先の実践にも通じる見通しが生まれるとき、それを議論と呼びます。

まとめると、相互理解と創発性のあるコミュニケーションが議論なのです。

もちろん、先に説明した効率的な「過激な議論」でも相互理解と創発が生まれることはあるでしょう。でも、非効率で時間のかかる贅沢な対話である「穏健な議論」がわたしは好きです。

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非効率が人をつなぐ

穏健な議論という非効率な対話が好きな理由は、その非効率さが余白となって、人と人、アイデアとアイデアをつないでいくからです。雑談したり脇道にそれたりしながら、お互いのことを知り、思考を深めていくのが、とても楽しい。

効率が求められるビジネスの世界では、こういった豊かな対話は傍に置いておかれることが多いものです。

だからこそ、そこに価値を見出す人と仕事をしたくてディスカッションパートナーをやり、だからこそそういった実践の機会を増やしたくて議論メシというコミュニティを作ったわけです。

そんな「穏健な議論」にご興味あれば、いつでもお声がけください。議論しましょう。

おまけ:討論と議論の違い

「討論」には勝ち負けがありますが「議論」にはそれがありません。その場にいるだれもが何かを得られるのが議論の良いところです。「討論」がAとBのどちらが正しいかを決める対決的な対話なら、「議論」はAでもBでもなくCやDといった考え方をも一緒に生み出す創発的な対話です。

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