FtMとおナベとおにぎり

今回は恋愛絡みのお話です。

私自身はバイですので、セクシャルマイノリティです。
女の子と付き合ったこともFtMの子と付き合った事もあります。FtMとはトランスジェンダーの1つで身体的性別は女性ですが、性認識は男性です。
性適合手術を受ける方はトランスジェンダーです。

私の経験上では、見た目も中性的でボーイッシュな方が多いですね。

付き合った期間が歴代最長の元彼もトランスでした。
お母さんが目鼻立ちのハッキリしたキリッとしている美人な方で、お父さんの顔は見たこと無かったのですが、その子も綺麗な鼻筋に二重で濃い過ぎず薄すぎずイケメンでした。
ちなみに、付き合った理由は告白されてイケメンだったからです。
やっぱり、顔の偏差値って大事ですね。
その彼は付き合った期間だけではなく
束縛からのDVも歴代1位です。


今回は、そんな彼の話ではなく
当時はまだ高校生だった私と
10歳ほど年上の彼のお話です。

彼の名をナツキとしましょう。
ナツキはその当時に彼女が居ました。
しかし、彼女はお嬢様校に在学しており
大学受験や習い事などで多忙な日々を送り
ナツキとはすれ違いの連続だったそうです。

そこで知り合ったのが
部活も勉強もバイトもしていない私。
ネットで知り合ったのにも関わらず
家は徒歩10分というご近所さんでした。

あっという間に仲良くなり
ナツキの家にお邪魔するようになりました。
ナツキは一人暮らしだったのですが、
そこにはいつも幼い女の子が。

話を聞いてみると、
姉がいつも仕事で預けに来ている、とのこと。
のんちゃんと呼ばれていた
その子は2.3歳児だったと思います。
子供が苦手な私でも一緒に過ごせるくらい
大人しい子でグズることもありません。

寒い日は3人で鍋を囲んだり
たこ焼きパーティーをしたりして、
特に何をする訳でもなく
ナツキの家へ行ってお喋りをして
のんちゃんとお絵描きして遊んで
のんちゃんが居ない時はSEXして
飽きたら帰る。
そんな遊び方をしていました。

しかし、ある日を境に毎日のように
ナツキに呼び出される様になります。
いつしかナツキは私に依存して
私が学校へ行っている間に寝て
帰ってくる時に起きる生活になりました。

私は朝方までナツキの家にいて
ナツキが寝たら家へ帰り仮眠をして
そのまま学校へ行く。
帰ってきたら、自宅で着替えたら
コンビニで食料品を買って
ナツキの家へ行き、
のんちゃんとご飯を分けて食べて
お酒を飲むナツキに付き合って朝方になる。

そんな生活をしていて、
1ヶ月ほど経ってからふと気づきました。
「あれ?のんちゃんのお母さんは?」
「なんでのんちゃんはナツキをパパと呼ぶの?」

しかし、人の生活に興味も関心もなかった私は
友人とも恋人とも呼べない関係性のなかで
深堀りする気は全くありませんでした。
ですが、ある日ナツキにこう告白されます。

『実はお姉ちゃんは居ない。
自分の兄弟は弟だけ。
のんは自分の子供なんだよね。』

??????

頭の中はハテナでいっぱいです。
お姉ちゃんの存在が嘘で
のんちゃんがナツキの子供?
ナツキの彼女の子供ってこと??
そう考えていると、

『元カノが子供が欲しいって言ってきた。
だから、他の男とSEXして子供を作って
2人で育てようって。
でも、他の男に抱かせるなんて耐えられない。
だから、自分が他の男とSEXして産んだ。
だけど、その彼女には振られた。
そんな事も全部知った上で
彼女は受け入れてくれる。
だから、離れられない。』


いや、私と浮気しとるやん!!!!
って最後のセリフに突っ込むのを忘れるくらい
衝撃的な告白でした。

今思えば、ナツキはお酒ばっかりで
自炊する事なんてほとんどなくて、
ご飯だって私がコンビニで
のんちゃんが食べれそうなものを買って
のんちゃんが食べたいものを分けたり、
白米を炊いて卵焼きを作ってあげたり。
あとは外食するか惣菜を買ってくるし、
彼女が家に来たときには
ご飯を作ってくれるらしいので
それを食べさせているくらいだったと思います。

一度だけ私の友達とのんちゃんとナツキとで
遊んだ事があったのですが、
その友達が当時を振り返って
『のんちゃんって年齢の割には
言葉喋らなかったよね。』
と言ったことがありました。
その時に、私は自分自身が
幼稚園や保育園に入った事がなかったので
未だに入園させない人もいるだな、
といったレベルの感情しか
持っていなかった事に気づきました。

もしかしたら、適切な療育を受けさせない
ネグレクトという虐待の片棒を
担いでしまっていたのかもしれません。

男として生きていきたいのに
周りは女として扱ってくる苦痛を耐えて
最愛の人を守るために女のフリをする。
どれだけの苦痛を感じて傷ついたんだろう。
今の日本では出産してしまうと
性別を変えることが更に難しくなる葛藤。
全てを捧げてプライドを捨てたのに
最愛の人は去っていってしまう苦しみ。

そして、まるでその最愛の人を
繋ぎ止めるためだけに産まれた
のんちゃんという存在。

全てが悲しかったのを覚えています。
ナツキの覚悟も葛藤も
のんちゃんに待ち構えている試練も。


でも、ナツキがのんちゃんを愛していたのは
事実でもあるのです。
いつも傍に置いてのんちゃんは宝物だ
という笑顔は本当だと思います。

ナツキは見捨てられ不安が強くて
常に誰かへ依存して存在を求められていないと
不安で仕方なかったのでしょう。
ただ、親になった以上は
自分自身の未熟さを理由に
子供の療育を放棄していい訳がないのです。


私たちにはそれぞれの人生があります。
表面上は取り繕っていても
水面下では何があったのか知る由もないです。
正論を言うのはいつも結果論でしかないのです。
私はナツキを責める気持ちもなければ
のんちゃんを救う術も知りませんでした。

ネグレクトされていた事に気づけなかった私。
ネグレクトされて育ったはずなのに。
当事者であったはずの自分の
感覚の鈍感さ、価値観の歪みと失望。

これを読んで下さった方は
少しだけ考えて欲しいのです。
虐待とは何か、周りはどこに注視すべきか、
そして何が出来るのか。
私が今できるのは、こうやって
文章にして伝える事だけです。
何気なくみている景色の中に
虐待が潜んでいるんだって叫ぶだけです。

いまはのんちゃんが幸せに笑って健やかに暮らせていますように。

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