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レトロギモン【心情エッセイ】

レトロゲームと言われると、どのハードを思い浮かべるだろうか。ゲームボーイ、スーパーファミコン、PS、etc…
しかし、そういったハードは普通の店じゃ中々お目にかかれない。
「名前やゲームは知っているけれど、実際に見たことがない」というにわか懐古厨な私がとある店で出会ったレトロゲームが、NINTENDO64なのだ――
ということで、今夜は64からインスピレーションを得てササっと書いたエッセイです、はい。


レトロギモン


今、私の前にあの64がある。NINTENDO64が、動いている。
小さいテレビ画面いっぱいに映るマリオの姿は、頭身も画質も低い。ニコニコ動画で見かけたかつてのゲームがそこにあった。思わず驚きの声を上げると、店主がコントローラーを手に語り始める。

「このコントローラー、持ち方によって初心者かどうか見抜けるんですよ」
「左側の持ち手を持つ人は初心者だと言われたりしますね。真ん中を持つより操作がしにくいんです」
プレイするゲームにもよりますが、と付け足す店主はとてもイキイキとしていた。ハーフリムのサングラスがいい感じに反射して、コントローラーを持つポーズが様になっている。確かに3本の出っ張りが持ち手のようになっていて、左を持ったら中央のスライドパッドに手が届かない。
面白いテクニックだ。

それから30分程度。64の話から始まり、ゲームボーイやファミコンなど様々なレトロゲームの話をした。ソフトやハード、独特なサウンドなど、一回り…いや二回りは違うであろう店主と大盛り上がり。

店主に
「欲しいサウンドトラックがあるが、高額でどうしても買えない」
と零したときのアドバイスを、よく覚えている。

「インターネットや大手で買おうとするから高いんです。個人の中古ゲームを取り扱う店の方が、安く売っています。個人経営は、価値を理解していないこともよくあるんです。」

その言葉が、妙に印象的だった。当たり前のような話なのに、不思議でならなかった。
私にとっては何よりも価値があって、ほしくてたまらないものが、その店では価値がない。私にとって価値があるものが、相手にとって価値がない。公正な取引で成り立つ商売に、私の持つ価値が反映されているわけではない。

私たちが見ている数字は、なんの価値を反映しているのだろう。私が探しているゲームは、どういう価値が宿っているのだろう。私たちが当たり前のように接していた値札に、公正な価値はあるのだろうか。
帰りの電車に揺られながら、片耳の現実とともに、ぼんやりと店主の言葉について考える。塞がった片耳は、懐かしい電子音に包まれていた。

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