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『塔』2021年7月号(3)

⑯谷活恵「選歌欄評を書いて」〈もし依頼の手紙が届いて迷っている方がいれば、執筆することをお勧めする。評を書くことで自分の歌に対する姿勢の気付きもあるし(…)〉そう!人の歌の評を書くことは自分の歌と自分を見ることなんです。なぜこの歌に惹かれるか、からスタートですよね。

道端に置かれたままに錆びてゆく放置自転車のような身体 久保まり子 全ての語が修飾として「身体」にかかる。読者は上から読んで放置自転車を思い浮かべるが、それが最後に身体だ、と転換する。その時、放置され、錆びまで浮いた、拠り所の無い身体が、自身のもののように読者に意識される。

そんなこと呼ばわりされて千切りをされ続けてるキャベツのさみどり 榎本ユミ 凝った副菜ではなく、最も簡単なキャベツの千切り。少し古い料理というイメージも。キャベツに罪は無いが、大切にされていない感。そんなこと、と言われ、軽く扱われ続けている。美しいさみどり色なのに。

子の背骨伸びてゆきたり垂直に竜胆の青き蕾がならぶ 松本志李 背骨は一つ一つの椎骨が重なってできたもの。その背骨の骨と竜胆の蕾を重ねたところがとても巧み。「垂直に」「青き蕾がならぶ」という描写が美しく、子の伸びやかな成長が寿がれている。瑞々しい比喩の歌。

やられたらやり返すのと見つめれば騒ぎ止まないコーラのひかり 中込有美 コーラの弾ける炭酸を爽やかと取るか、攻撃的と取るか。主体はおそらく後者。我慢しない、泣き寝入りしないと思う気持ちがコーラの泡を見る目に反映している。一息にコーラを飲み干してそのまま進んで欲しい。やり返すために。

言わなくてもわかると思ってたなんて言いたくなかった晩春の雨 的野町子 言わなければ分からなかった、あるいは言っても分からなかった。だから分かると思ってた自分が歯がゆい。期待していた甘い自分をさらけ出したくないのだ。二句三句の促音でのギクシャクした句跨りが心情に添う。

ことばってメタフィジカルなレゴブロックつなげてあそぶあなたにもあげる 鹿沢みる 言葉は形の無いレゴ、という解釈でいいだろうか。言葉を文字でなく、可視化している。下句の「あ」音の連続もいい。言葉で思考すると言っても繋げて遊んでるだけ、なんて考えたら色々気が楽になるね。

2021.8.25.~27.Twitterより編集再掲