河野裕子『ひるがほ』5

生(あ)れしばかりの吾子傍らに置かれゐるこの謐けさに眸(まみ)を閉ざせり 自分が産んだ子に対して「生れし」と、自然に生まれてきたかのように捉える。その子が傍に置かれ、辺りは静かだ。多分お湯を捨てる音等はしているのだろうが、産むという力の限りを尽くした作者にはそれが静けさに思えるのだ。

産むという血みどろの中ひとすぢに聴きすがりゐて蝉は冥かりき 「生れし~」の歌が産み終えて正気に返った時だとしたら、この歌はまさに出産の時の苦しみを詠う。「すがりゐて」という心情の表現がいい。本当に蝉の声は聞こえていたのか。「冥」の字から幻想にも思える。

しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたるのちの薄明に聞こゆ 子を産むときの血みどろの中すがるように聞いていた蝉の声が、産んだ後のうっすら明るい中になおも聞こえている。この蝉の声も幻想的だ。薄明は夕暮れか夜明けか。それとも現実の時間に属さない漂うような時か。

2020.10.20.Twitter より編集再掲