佐藤直子歌集『朝の鏡』

誠実に生きる

「青南」所属の作者の第七歌集。作者は写生を通して、目に見えないものを詠う。
・十月を過ぎて十日か色の増す石(つ)蕗(は)の葉かげに光る空蝉
・穂孕みの近づく稲のつやめきて夕べの風に音さやさやと

 一首目、秋になり緑が深まる石蕗の葉の陰に季節はずれの空蝉がある。夏が遠く去った後に生まれ、短かったであろう蝉の命に、作者の思いは及ぶ。二首目は穂孕みという言葉選びがいい。膨らんだ茎を見てその中の穂を思っているのだ。
・光透く木の間に苔のみどり濃く秋篠寺の昼のひそけし
・つぎつぎに爆ぜて春よぶ松明のおと飛火野の鹿も聞きゐむ

 作者の住む奈良の歌にも佳品が多い。秋篠寺の静謐さ、お水取りの活気、どちらも目に見えぬ音を描き出している。
・青柿の続けて落ちし夜半の闇一首の助詞のいまだ決らず
 作者が何よりも真剣に向き合っているのが短歌だ。歌集中には歌会や歌作りを素材にした歌が多い。長い年月を歌に真摯に取り組んできた作者が未だ助詞に悩む姿に、その誠実な人柄が浮かぶ。
・北風にかがまりて蒔くてのひらの種と私を待つ未知の日々
・やはらぎし日差しにしかと畝をうつ息たつ土に息を合はせて

 また、作者は農を楽しんでいる。一首目は種と自分を、二首目は土と自分をそれぞれ同等なものとして感じ取る。謙虚に自然と向き合う態度が印象的だ。
 短歌と農、どちらの歌にも作者の誠実な生き方が表れている。それが最も良く出ているのが歌集題になった次の歌だ。
・もう少し頑張れるはず息かけて朝の鏡のわたしを磨く

2019.9.『現代短歌新聞』(公開記事)