河野裕子『ひるがほ』17

鬱うつと黒き手袋脱ぎをれば背後の森に月のぼり来つ 絵画的一首。実際には黒い手袋を脱いでいるだけだが。「鬱うつ」と「黒き」が響き合う。読者は自分を作者に重ねて背後に月を感じることができると同時に、正面から作者を見、作者の背後の森と昇る月も見ることができる。

垂直に光の断崖かけ登るこゑ軽やかにひばりと言ふは 野の鳥を短歌で詠うことは意外に難しい。一応、誰もがその動作を知っていることを前提に詠うことが多いように思う。この歌は「光の断崖」が素晴らしい把握だ。そこを「垂直に」登っていくという描写も。声が聞こえてくる。

鳩時計ゆるく鳴り出づ熱病む子の赤き薬を溶きつつをれば 粉薬がまだうまく飲めない、幼い子のために薬を水で溶いているのだろう。赤い薬というのが少しだけ禍々しい印象だ。その時、鳩時計がゆっくり鳴り出した。何かを告げるように。日常の中の不思議な絵のような一コマ。

2021.1.12.Twitterより編集再掲