河野裕子『ひるがほ』21

菜の花かのいちめんの菜の花にひがな隠れて鬼を待ちゐき 『ひるがほ』の中でも特に好きな「菜の花」の一連から。初句四音。その後に無音が長く続く。それが菜の花畑の広がりにつながっていく。「かの」で過去のことと分かる。一日中菜の花に隠れて鬼を待っていた。鬼はかくれんぼの鬼であり、作中主体は少女を思わせる。鬼と少女は惹かれ合いながら、なかなかお互いを見つけることができない。それぞれがお互いにとっての異界に棲んでいるからだろう。

 この連作は次の歌集『桜森』中の連作「花」に繋がる。「花」では少女は女になり、菜の花は桜に変わる。そしてかくれんぼの鬼だった鬼は、性愛の喜びと苦しみを知った女の中に棲む「鬼」に変わる。この連作については『桜森』を読むときに考えたい。

鬼などは来ぬやも知れぬ恍(くわう)くわうと身をおしつつみ菜の花ばかり じっと膝を抱えて菜の花畑の中に座っている少女。来るか来ないか分からない鬼を待って。邂逅の瞬間を待って。鬼など存在するのだろうか。ひたすらに感じられるのは身の回りの菜の花の圧倒的な量感。

しんきらりと鬼は見たりし菜の花の間(あはひ)に蒼きにんげんの耳 しかし鬼は少女を探していた。鬼は少女に会いたかったのだ。探しても探してもいない少女。一瞬、ちらりと耳だけが見えた。鬼からすれば異質な人間の耳。尖っていない、柔らかく、蒼く、震えるような耳が。

2021.2.9.Twitterより編集再掲