我、推しを失いし者也

※※※注意※※※
このnoteは、「オタク・ファンやめる宣言なんてわざわざするな、去るなら黙って去れ」という考えの人は絶対に読まないでください。確実に不快な気分にさせます。断言できます。以下の文章を読む際は、くれぐれも自己責任でお願いいたします。

推しが文春砲を食らったから、推しがアホなことをやらかしたから、そういう理由でオタクをやめるのではない。スキャンダルをきっかけにして、「私はすでに『今こそ彼らを支えるべきだ』と思えるほど彼らを推していなかった」という事実に気づいてしまったのだ。


推しであったコブクロの黒田が不倫して週刊誌にすっぱ抜かれた。アホだと思う。これだけ定期的に不倫した芸能人が血祭りにあげられているご時世で、自分のキャリアも人生も未来も家族も作品も相方の人生もぶっ壊しうることをなぜやってしまったのか。いや、本来、不倫だとか浮気だとかそういう問題は当事者間や家庭内で解決してくれって話であって、完全なる外野である我々がとやかく言うことじゃないけど。不倫を許す許さないのジャッジを下す権利を持つのは黒田さんの奥さんやお子さんだけ。LINEの全文を公開するとかふつうにプライバシーの侵害だと思うし。報道する自由って一体何なんだろう。おっとやめよう。テーマがでかすぎる。

この一報を知ったのは5月11日火曜日、仕事から帰ってきてTwitterを開いたときだった。トレンド一位に「コブクロ」とあって、たったそれだけで「これはネガティブな意味でヤバイやつだ」と直感した。開いてみたら案の定。動揺した。「誰が不倫したとかクソどうでもいいけど、不倫がバレると尋常じゃないぐらい叩かれて活動自粛にまで追い込まれてしまうような世の中で理性が効かないのはアホじゃない?」と考えてきた私。まさかその言葉を推しに向けなければならない日が来るなんて思ってもみなかった。「うちの推しはさすがにそのあたりの聡明さぐらい持っているはずだ」とどこか期待していたんだろう。

ついこのあいだの話だ、NHKラジオで『うたことば』という番組があって、朝7時から11時までぶっ通しでコブクロの歌に綴られた歌詞を取り上げてくれた。コブクロが好きだという芸能人の皆さんが集まって、ガチの熱がこもったトークを展開してくださった。名前の由来がコブクロの『桜』なんですって語ってくれたあの方。ド緊張しながら素敵なカバー演奏を披露してくれたあの方。このカバーをきっかけにして「コブクロ良いね!」と興味を持ってくださった他界隈の方々。全員の顔面に泥塗ったようなものじゃん。もう全員に申し訳が立たない。悪いのは私じゃないんだけどさ。

次の日、5月22日におこなわれる無観客配信ライブのグッズが届いた。なんの感慨もない自分にまた動揺した。ここらへんから気づいてきた。「あれ、私の推し愛ってこんなもんだったのか?」と。Twitter上の友人たちは「それでも推すけど」と宣言している。でも私にはどうしてもそれができなかった。彼らが数年前に活動休止したときも、わりとデカイ失敗をして世間をざわつかせたときも、「推します」とすぐに宣言できたのに。今はもうできない。できるものならしたかった。この日の夜は育てている観葉植物を手に持ったとたん土がぜんぶ一番キライなあの虫に変わる夢を見た。夢占いで調べたら「ストレスを抱えています」だって。わかっとるわボケ。

5月13日、秋から始まる二年ぶりの有観客ツアーのチケット当落発表だった。いつもより小さい会場でしかも観客収容率を50パーセントに抑えるツアーなのに、ちゃんと当選した。「なんで?」と思った。全然嬉しくなかった。そのことにまた動揺した。そうしたら自然に体が動き出して、あっという間にCDやらDVDやら幾多ものグッズを整理整頓してしまった。押し入れサイズのプラスチック収納ケース(深型)、実に一個分。気づいたら「アーティスト グッズ 買取」で検索していたし、ファンサイト会員限定販売された転売禁止のモノたちをどうすべきか考えていた。

「マジで終わるんだ」と思った。

振り返ってみると、コブクロを推すことが私にとってはもうどこか苦しかったのかもしれない。歌番組に出演しているのを観るときは、いつも祈るように観ていた。正直、あくまで私個人として、ここ最近のパフォーマンスにはため息がちだった。友人たちが「最高」と感動していても、私はどこか腑に落ちないような、微妙な違和感を抱えていた。ここ数年のライブも、心から楽しめていたかと言えば、イエスとは答えられない。どこか彼らの「調子」を心配し、憂い、――「もうこれ以上失望させないでくれ」とわがままな願望を抱えていた、と思う。もっと遡れば、私がうつになって死にかけたとき、私を救った歌は実を言うとコブクロの歌じゃなかった。

それはコブクロが悪いのではない。私の趣味嗜好の問題であり、私がもうコブクロとは相容れない人間に変わってしまったということなのだ。推しだって結局は人間であって、年齢的な衰えや病気があって変わらざるを得なかった部分が絶対にある。しかし根本的なありようは変わっていない(はず)。だから熱が冷めてしまったということは、自分という人間が変わってしまった、自分が推しから自立するべきときが来た、自分と推しの人生が分かたれるときが来た、そういう話なのだ。

緊急事態のときにこそ人の本質は表れる。この危機的な状況下で「それでも推す」と言い切れないのなら、私はもうそれまでの存在なのだ。「これからもコブクロを推す私」と「コブクロ推しをやめた私」を想像したら、後者のほうが圧倒的にきもちが楽だった。あ~あ。大量のグッズを整理整頓したら心がスッキリしてしまったんです。その事実がすべてを物語っているんだよな。

“分人”という考え方がある。作家の平野啓一郎さんが著書『私とは何か 「個人」から「分人」へ』で著されている。「ただひとつの本当の自分」といったものはなく、無数の「他者との間に生まれるいろいろな自分=分人」があって、そのすべてが本当の自分なのだという話。たとえば、「母親の前でくつろぐ私」と「上司の前で緊張している私」はどちらもまちがいなく「本当の私」であって、「上司の前で緊張している私は本当の自分じゃない!」なんてことはない。そんな考え方。

私が今こんなにも苦しいのは、「コブクロを狂ったように推す私」という分人――私を構成するあるひとりの私が、完全に死んだからだ。

コブクロの曲1曲につき1note書く企画をやりだしたのは、書くことで「私はコブクロを愛しているよな?」と自問自答する作業だったのか。正直、苦しみのほうが大きかった。「大好きなコブクロの話なのに、ネタはいっぱいあるのに、なんでこんなに書けないの?熱をこめられないの?」とずっと思っていた。いつの間にか書くことが義務になっていたし、書けない日なんて山ほどあって、流れ作業的にこれでいいやと出したときさえあった。それじゃダメじゃん。そういうnoteはやっぱり伸びないんだよ。やっぱりにじみ出るもんなんだよ。ただ、母をテーマに書いた文章の初期のと最近のとを比べると、だいぶ言葉や発想に幅が生まれていたから、修行としては良かったのだと思う。意味がなかったと言うつもりはまったくない。

ファンサイト会員しか見られないブログで二人がそれぞれ謝罪文を出した。二人とも「歌い続けることしかできない」と認識しているようで、その点は安心した。そうだよ黒田さん、元はと言えばあなたがサラリーマンだった小渕さんを引っ張り出して彼の心の奥底にくすぶっていた音楽への夢に火をつけて自分の夢に巻きこんで、そうして小渕さんの人生を変えてしまったんじゃねぇか。だからあなたは歌い続けなきゃならない。小渕さんは黒田さんが歌わないなら曲を作る気がないんだから。それはつまり、夢のない言い方をすれば職を失うということだ。ご家族もそうだけどさ、あなたの人生はあなただけのものじゃねぇんだよ。

この件が二人の関係性に微妙な不和をもたらさないよう祈るしかない。あるものを高め合い、ないものを補い合う関係性。それは歯車がひとつでも狂えばすべて崩壊する危険性をも伴っている。

七夕に発売されるシングルの予約を取り消した。もうモノはいらない。発売される頃に聴きたいかなと思ったら、ダウンロード購入する。当選したライブに行くかどうか、今はまだ決めない。コロナのこともあるし、近くなったら決める。

5月14日、仕事でむちゃくちゃ嫌なことがあって、ブチギレてしまった。その後の自分の行動があまりも自分勝手で大人げなくて情けなくて、家に帰ってから号泣した。いつもなら耐えられたんだよ、私はクソまじめだから。気づけば数年前に亡くなった母の遺影に向かって「迎えに来て」と願っていた。そういえばスキャンダル発覚後、泣いたのはこのときが初めてだった。翌日は一切動けず、ずっと寝込んでいた。今ようやく持ち直しつつあるけど、自己嫌悪がまだ残っている。何?自分超メンヘラじゃん。マジ引くんだけど。奥さんがいるってわかっているのに近づ(※※※以下の文章は検閲により削除されました※※※)

心を落ち着かせようとウォークマンを取り出したけど、こういうときコブクロ以外に何を聴けばいいのか。プレイリストにはそれなりにいろんなアーティストの曲が入っているのに、今マッチする曲がない。愕然とした。自分の人生がどれだけコブクロに依存してきたのか、まざまざと見せつけられた。推してきた13年。もう一生推していくんだと思っていたのに、こんな終わり方をするなんてね。人生は予測不可能。だからしょうがない。この依存を終わらせるときが来ただけ。「特別扱い」をやめるときが来ただけ。「それなりにいろんな曲を聴いているアーティストのうちの一組」になるだけ。

人生の各所で救われてきたことは事実だし、13年が無駄だったとは思わないし、彼らを推したことで幸せに思えたことが山ほどあったし。ありがとうと思う、言える。だから「オタクやめる」という言い方はよそう。「オタク卒業します」と表現する。この喪失感を、私は没頭で塗りつぶして乗り越えようと思う。彼らのことはそっと離れたところからたまに様子をうかがう感じで。

……思い出したんだけどさ、毎月読んでいる占いに「今月は大切なものを失うかもしれません」って書かれていたんだよね。マジ怖くない?

まぁいいや。

この文章をもって、私はコブクロオタクを卒業します。

今までありがとうなコブクロ。
歌うこと、絶対にやめんじゃねぇぞ。

報道直後にあげたnoteを受け、メッセージやサポートを贈っていただいた皆さん、本当にありがとうございます。私がオタクじゃなくなっても友達だと言ってくれたみんなも、本当にありがとうございます。全員のやさしさに救われています。本当に、本当に、ありがとうございます。

このご恩、忘れません。

私は生きる。生きるぞ。


○追伸
この動画にもめちゃくちゃ救われました。



良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。