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ほんのちょっぴり俺たちの方が運が良かっただけ・・・

江戸時代の初期に風変わりな禅僧がいた。
「乞食桃水」と呼ばれた僧侶である。
全国を行脚し、寺の住職も務め弟子も育てたが、ある日突然すべてを捨て、京の都の乞食の群れに身を投じた。
行方をさがし回っていた弟子が、京の河原で乞食となって暮らしている師匠を見つける。
寺に帰ることを承知しない桃水の傍を離れようとしない弟子・・・ある日、仲間の乞食が一人っきりで死んだ。それを二人で穴を掘り埋めていると、弟子が「不憫な乞食だ」と呟く、それを聞いた桃水が「馬鹿者、どうして乞食の死だけが不憫なんじゃ・・・人間何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでゆく・・・いくら裕福な大名や殿様でも、死ぬときは米粒ひとつ喉を通らん・・・そんなことも分からんのか」と弟子を怒鳴りつけた逸話が残っている。
桃水は、一生「人間の生死(しょうじ)」を見つめ乞食として生きた。

 先日、安居酒屋で後輩と酒を酌み交わしていた。彼は地方の禅寺の次男坊で、自分は東京で室内デザイナーの仕事をしている、聞こえはいいが私と同様の零細企業主の一匹狼・・・日々が戦争、時には資金繰りに苦しみ、死にたくなり逃げ出したいこともしばしば・・・それでもお互い何とか生きて来た。そんな同じ境遇が絆を深めている。

 彼の唯一の趣味が自宅近くを流れる多摩川で釣り糸を垂らすこと・・・ある朝、いつものように釣りをしていると、それを見ていた近所のおじさんが声を掛けて来た。
「どうですか・・・釣れますか・・・」
「いやいや・・・」と受け答えをしながらも、世間話に花が咲いたそうである。

「あなた、この先のホームレスの人たちのことを知ってますか?」
「はあ、河原に何軒も小屋が建っていることぐらいは・・・」
「実は、あの中のお一人とお友達になりましてね」
「ほう・・・」
「家に、いや小屋に招待されたんですよ」
「ほう・・・」
「遠くで見ていただけでは分からなかったんですけどね、行ってビックリですよ、床は何センチか上げられ川の湿気が入らないようになっていて、なんと屋根にはソーラーパネル・・・中にはエアコン・・・電化製品がずらりと並んでいるじゃありませんか」
「ほう・・・」
「小屋の中でちゃんと温かいお茶を出されて、そこでちょっと面白い話も聞いたんですよ」
「ほう・・・」
「実はね・・・彼らの仲間にはタクシードライバーをしている人間がいるそうなんですよ。制服もあるし、シャワーや風呂も入れる、彼らにとっては打ってつけの職業・・・でもね、問題がひとつ、夜勤が多いため夜、小屋を留守にしなければならない。そうすると悪い連中が河原にやってきて悪さをするそうなんですよ」
「ほう、それで・・・」
「それでね、仲間みんなでその小屋の留守をまもってやるそうなんですよ」
「なるほど・・・」
「でね、夜勤を終えたタクシードライバーは、手に持ちきれないほどの食料を買い込んで来る・・・それを仲間に分け与えたり、そこで宴会をはじめる・・・いやいや、立派なコミュニティーがあるんですね、まったく恐れ入った」
とその物好きなおじさんは、彼に話してくれたそうである。

 居酒屋のテーブルを挟んで、酎ハイのジョッキを片手に後輩が
「先輩、おれ、この話を聞いて何故かほっとしたんですよ・・・人間どんな環境でも、考え方次第でしっかり生きて行かれるんだなってっね・・・」としみじみ呟いた。
「まったくその通りだな・・・彼らと俺たちの違いは、ほんのちょっぴり俺たちの方が運が良かっただけかもしれないな・・・明日は我が身かもな」
「その通りですね」
「今日は本当にいい話を聞かせてもらった・・・田舎で住職をしているお前の兄貴の説法より、よっぽどいい話だったよ・・・お前、兄貴よりいい坊主になれるかもよ(笑)」
と揶揄い、お互いジョッキ片手に笑い合った。

そして後輩曰く、前回東京を襲った大雨で、その小屋はすべて流されたとのこと・・・でも、彼らはまた「ゼロ」から、自分たちの生活を始めていることだろう。

桃水和尚の境涯には決してなれないが・・・「人間本来無一物」何があっても「日々是好日」・・・
改めて、そんな難しい言葉がすっと心に入ってくる話だった・・・。

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