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あたためて食べてください G

歯を失った時期と同じくして、祖父が亡くなった。もともと痴呆が進み、入院をしていたのでなかなか会える状況になかったが、おばちゃんからの連絡でそう長くはない事を知らされてすぐのことだった。

じーちゃんの印象

私の中のじーちゃんの印象は、寡黙。普段あまり人と話さないが、私の成人のお祝いや誰かの結婚式では饒舌な姿を見せていた。それを見るのが不思議な気持ちで別人のように感じていたしすごく照れくさい気持ちになった。
私が小学校4年生の途中から埼玉に引っ越してきて中学3年生の終わり頃まで同居をしていたが、話す機会は少なくじーちゃんの事はあまり知らない。
スーツを着てバリバリ働いていて、私が中学3年生の時にアメリカのメロン大学に行っていたと記憶がある。メロン🍈?と不思議には思っていたが深く考えることも聞くこともしなかった。思春期真っ只中の私には目の前の事しか見えていなかった事を今更ながら悔やんでいる。
アメリカに行くと聞き、当時流行っていたNIKEのAIR MAX95を買ってきてとお願いした。

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しかしアメリカではすでに96が発売されていてどこのshopにも95モデルは無く、96を買ってきてもらった。私は欲しいのはこれじゃない!!とふてくされたことを覚えている。ごめんね。

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2度目の同居

私とじーちゃんはもう一度、一緒に暮らした時期がある。
19歳で就職をして始発終電の生活で超多忙だった私は(飲みに行くから遅くなる日もある)駅から走れば5分で着くじーちゃんのマンションが便利でしばらく居候をしていた。中学生を過ごしたその街にはすぐに集まれる友人もいるし、遅く帰ってもうるさく言われることもなくとても快適だった。
じーちゃんは商店街にある洋食屋さんか、鍋焼きうどんの出前をよくしていた。家に帰ると、いつも決まって同じメニューがピシッとラップをかけて置いてあった。
『あたためて食べてください G』
気にも止めず、いつもなんでこのメニューなんだろ?と思っていた。

味噌カツとエビフライ、添えられたナポリタン
鍋焼きうどん

ある時、ふと、あたためて食べてくださいの後の"G"が、じーちゃんのGだと気付いた!!
そして私が名古屋生まれだから毎回味噌カツやエビフライの入っているメニューにしているのかもしれない!と気づいた。じーちゃんなりの私への気遣いだったのかもしれない。
その時のGの書いてある置き手紙は宝物箱に入れてある。

じーちゃんの嗜好

じーちゃんと私の奇妙な2人暮らしはどうやって終わりを迎えたか今では覚えていないけれど、毎週競馬を観たり、マラソンを観ていたり、じーちゃんの嗜好は確実に私の今につながっている。
じーちゃんがいなければマラソンを観ることもなかったかもしれない。英語を話し、酒は飲まず甘いもの、競馬、マラソンが好き。休みの日に練習のためにシュークリームやチョコレートケーキ、ジャムなんかを作って置いておくと、お返しにすいとんを作ってくれた。
会話はなくてもなんだか通じ合えている気がしていた。

たくさんのありがとう

運動音痴の私が今ではフルマラソンを走っていること、お雑煮はばーちゃん直伝のスルメと昆布入りなこと、じーちゃんの田舎のお酒が大好きなこと、、、話してないことがたくさんあるのにもう話す事はできない。
成人式の着物も一人暮らしの部屋のエアコンも、困ったらいつも助けてくれてありがとう。
無口だけど、しっかり見ていてくれてありがとう。
"G"と書くお茶目な面を持っているじーちゃんが好きだった。きっとこの気持ちは届いていると信じている。もう会えないけれど、いつまでも私の中でGは消えない。

2ヶ月経ってやっと整理できたかな。
また一緒に競馬観たいね。



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