見出し画像

猫とコーヒーと、土曜日

 ちょうどクロワッサンの形に丸くなった猫が、あくびをして目を閉じた。窓からカーテン越しに入る陽が、ふわりとした毛を温めている。

 私は、どうにも猫が好き。

 犬も鳥もウサギも好きだけれど、仲良くなれる確率が高いのは昔から猫だから、どうしても一緒に暮らすのは猫が多くなる。

 鳥には好かれたことがない。美しい羽も空を飛べるというところも、大好きなのだけども、ペットショップで私が近寄るとパニックになったオウムも、突いて追いかけ回してきた鳩も、幾度となく登校中に襲ってきたカラスも、彼らなりの理由があるんだろう。寂しいような気もするけれど致し方ない。

 ところが猫ときたら、向こうから寄ってきてくれることもある。初めて会ったのに、擦り寄ってきてくれたりするともうハートを射抜かれたも同然でしょう。

「出会いは保健所から」

 留学時代に出会ったのは、保健所の猫だった。可愛くて、フワフワしていて、元野良猫の子。そして2匹目に出会った。この2匹とは国境も太平洋も一緒に超えて、長く一緒に過ごした。最初の子が16歳で脳梗塞の末に逝ってからは、しばらく猫とは距離を置いていた。

 どの子も可愛いことはわかっているけれど、どの子もあの子達に見えてしまって、そして比べてしまう。違うところを見つけると、やっぱり違う子なんだと思い知ることになり、余計に辛くなった。

 ペット、という言葉はあんまり好きじゃない。あの子達は、親友で家族で、同志だったような気がする。人間と猫だけど、言いたいことは伝わるし気持ちもわかる。悲しい時や嬉しい時を分かち合って生きていたから、また他の猫をとは考えることができなかった。

 三年が経って、娘の言葉をきっかけに猫と暮らす気持ちになれた。それは近所にキャリーケースのまま遺棄された猫がいたという、当時まだ園児だった娘の話だった。引き取りたい、という気持ちが出て翌朝すぐに遺棄されていた場所へ向かったが、すでにそこのオーナーが猫を更に遺棄した後だった。せめてシェルターにでも連れて行ってくれればと思うが……それは後の祭りだった。

 でもこの時なんだか、猫と暮らすことに妙なスイッチが入ってしまったんだろう。ネットでその遺棄された子の情報が保健所か動物愛護団体かのサイトに掲載されていないだろうか、と探している時に出会ったのが、今いる1匹目になる。

 噛み癖があるけど、人が好き。甘えるけど、思い切り本気で噛む。なんとも困ったツンデレな性格の既に5歳をすぎた女の子で、案の定全く引き取り手がいない様子だった。それから、うちに来てもう3年。

 今では滅多に噛むこともなくなり、気持ちよさそうに昼寝する姿が見られるように。

「再会」

 こうして再び始まった猫との暮らし。

 今では(もうこれが許容量限界点だけれど)4匹の猫と暮らしている。

 不思議なことだけれど、実はずっと2匹の気配は近くにあったような気がして、うまく説明はできないけれど猫とは一緒に暮らすのが私にとっての当たり前なんだろうと思う。

 つらつらと、なんとなく。

 そんな猫との暮らしを書いてみた。

 今日も猫達が、好きな場所で昼寝をしている。

 午後の陽が、それぞれの毛の上に降りていて、反射しているみたいにキレイに見えて、それを見ているとこちらも少し眠くなってくる。

 コーヒーを入れて、猫と雑誌を交互に眺めて。

 そんな、土曜日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?