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白馬に乗った王子様は疑ってかかれ

“昔々”で始まって“幸せに暮らしました”で終わる。これがおとぎ話のフォーマット。「いつか、私の前にも白馬に乗った王子様が……」なんて考えを持っている人が現代にどれだけ生き残っているのかは知らない。もしかしたら絶滅危惧種かもしれない。だけど女性であれば幼い頃、一度くらいは夢見たことがあるのではないだろうか。何を隠そう私もそのうちの1人だ。

だけど大人になってからこのおとぎ話を冷静になぞってみると彼女たちが“幸せに暮らしました”なのかどうかは甚だ疑問であるということに気がついた。

例えば、白雪姫。あらすじはこうだ。
継母の放った刺客に上手く森の中に逃してもらった白雪姫。だけどそれでも継母の執念により居場所が発覚、毒リンゴを食べて瀕死状態に。そんなところを偶然通りかかった王子様。一目惚れをした白雪姫に思わずキスをする。キスの力で目覚めた白雪姫。王子様と幸せに暮らしました。

例えば眠れる森の美女。あらすじはこうだ。
生まれたときに「16歳の誕生日に糸車で指を刺して死ぬ」という呪いをかけられたオーロラ姫。隔離された森で生活する最中、偶然、王子様と出会う。しかし悪い魔女に居場所が発覚。永遠の眠りにつかされてしまう。その事実を知った王子様がオーロラ姫を助けに駆けつけ、キスの力で目覚めたオーロラ姫。王子様と幸せに暮らしました。

例えばシンデレラ。あらすじはこうだ。
継母、義姉にいじめられながらも、魔女の助けを借りて舞踏会へ。持ち前の美しさから王子様の目に留まり、数分間時を共にする。舞踏会の帰り道。置き忘れたのはガラスの靴。その靴のおかげでシンデレラの存在が明るみに。結果、お城で王子様と再会し、幸せに暮らしました。

……“幸せに暮らしました”? 本当に?

王子と姫が会ったのはたった一度。それぞれ、会話だって数分しかしていない。白雪姫やオーロラ姫に至ってはほとんど寝ていただけではないか! いくら命を救ってもらったからとはいえ、相手のことをまだ何も知らないのに結婚に踏み切るなんてまぁ思い切った姫様たちだ。

ではどうしてそんな判断ができたのか。
そこには“王子バイアス”なるものが働いていると推測する。

相手の肩書は“王子”。きっとそこそこ教養もあり、剣の腕も磨いていることは容易に想像がつく。実家が裕福なのは言わずもがな。しっかりと整った身なりで白馬に乗ってやってくる。条件だけ見れば優良物件なのは間違いない。

だけど王子に関しての情報はたったそれだけなのだ。

親同士が決めた相手と結婚をする。そんな時代背景からするとおかしくない話なのかもしれない。だけどこの先何十年も続く人生を、上っ面の情報だけで判断するのは恐ろしい。

相手のことをよく知って、しっかりと考えてからでも遅くはない。肩書や白馬に騙されてはいけない。極端な話かもしれないけれど、キラキラしたそれらには裏があると思って、疑ってかかるべきなのかもしれない。

もし仮にこの先、私の前に王子様が現れてくれるのであれば“実は王子様だったんだ”と後から教えてくれるような、そんな人がいい。白馬なんていらない。自転車でいい。なんなら歩きで構わない。

なんてまだまだ夢見るアラサーだった自分がちょっと恥ずかしい。
それにこんなこと”幸せに暮らしました”でピリオドを打っていない私が言っても何の説得力もない。


※この記事のおとぎ話は一般的なものを例に挙げています。
※グリム童話などの「本当は怖い〇〇」は考慮に入れていません。

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