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【掌編小説】ひとりじゃないよ

「幸せになりたいだけなのに、なんでこんなにしんどいんだろう」

最近、仕事はトラブル続き。対応に追われている結果、友人とのランチはもう何度も延期になっている。半年前にプロポーズしてくれた彼氏も最近になって少しずつ様子が変化し、前回のデートで婚約を破棄したいと伝えられた。一つ上手くいかないことがあるとすべてが連鎖して上手くいかなくなる……。

こんな負のオーラが蔓延しているのを見かねた、同僚の亮太が“気分転換に散歩でもしよう”、と誘ってくれた。

この日はいつもより早く仕事をたたむことができた。だけど時刻は22時を回ってる。
「ねぇ。どこいくの」
会社を出た私はただ亮太の後ろをついていく。たどり着いたのは会社から徒歩圏内にあるコンビニだった。
「んー? 散歩だよ。今日暑いし、水分補給大事だから」
どれにしようかなと小さい声でつぶやきながら冷蔵ケースからミルクティーを手に取る。
「玲奈は?」
「え、じゃあ……アイスコーヒー」
私の回答を聞いた亮太は黙ってアイスコーヒーも手に取り、レジへ向かう。
会計を済ませ、コンビニを出ると、袋からアイスコーヒーを取り出して差し出された。
「あ、りがと」

私は黙って亮太の隣を歩く。細身の亮太は一見、小さく見えるが横に並ぶとちゃんと男性で、大きく感じる。私より大きな一歩。だけど今日は小さめの歩幅でゆっくりと、リズミカルに歩いてくれていた。

しばらくして私達が進んでいるいる方向が駅とは逆だと気づく。毎日会社と駅の往復ばかりでこんな道通ったことが無い。しばらく歩いていると、微かに、水の音が聞こえた。
「ねぇ。どこいくのってば」
「もうちょっとだから」
亮太はそう言うけれど、目の前にはコンクリートの壁しか見えない。だけどよく見ると、そこにはコンクリートの階段があった。
「暗いけど、登れる?」
階段を一段上り、少し振り返って右手を私の方へと差し出す。おとぎ話のお姫様……とは思えなかったけれど、突然の女性扱いに決して悪い気はしなかった。周囲には知り合いもいない。私は小さな声でお礼を述べてから亮太の手を取り、ゆっくりとコンクリートの階段を登っていった。

数段登ると、目の前には川が流れていた。暗がりの中でもわかる、手入れが行き届いた川。そこには白くてスタイルの良い鳥が何羽か集まり、夜の会合が開かれていた。
「なにここ……」
「自然の休憩所。疲れたらたまにくんの、ここ。この辺が俺の指定席で、玲奈はそうだな……」
そう言って先程ペットボトルを買ったときにコンビニで貰った袋に気づいた亮太は袋を地面に敷き、「どうぞ」と手で合図してくれた。私はその上に腰を下ろした。
耳をすませば川の流れる音に草の音、虫の音が加わり、その場にいるだけで心地よい気分になってくる……。

「で? その負のオーラの原因は? 見てるこっちがドキドキするんだけど。ここなら誰も聞いてないし、俺で良ければ話、聞こうか?」
「……なんで毎日こんなにしんどいの」
「え?」
「なんで? 私はただ、幸せになりたい」
「それは……」
一度声に出したら止まらなくなった。私は勢いで心に溜め込んでいた想いを放っていく。
「別に高望みしてるわけじゃないと思うんだよね。宝くじで3億円当ててパーッと使いたい! とか、大好きなアイドルとハグがしたい! とか、そんな無謀なことを望んでるわけじゃないじゃん? ただ、幸せになりたいだけなのに。こんなに難しいことだなんて思ってなかった」
「なるほどねー……」
返す言葉が見つからないのか、亮太は先程コンビニで買ったミルクティーを口に含んだ。ため息をつきながら川を眺めていると水面にキラキラと模様があることに気づいた。空を見上げるとまんまるな月が輝いていた。

その時、亮太が口を開いた。

「玲奈にとって幸せって何?」
“幸せになりたい”。先程、声を大にして言ったものの、亮太に問われて気づく。多分そこに決まった答えはない。私が導き出すものこそが答えだ。
「えーと……最低限度の生活が送れて」
「なんか日本国憲法みたいだな」
「だって、辛い暮らしは嫌だもん。あとは、美味しいごはんとスイーツがあって」
「食い気が出たねー」
亮太は口を開けて楽しそうに笑いながら言う。
「ほんと、そういうとこ玲奈らしいよな。それから? 続けて?」
「それから……何にも縛られなくて、自由で。私が好きな人達とこんな風に会って、喋って、何気ない日々を過ごすこと?」
「なるほどねー……」
亮太の相槌は先程と変わらなかった。だけど顔には先程は見られなかった柔らかい笑みが浮かんでいた。

私達は言葉を交わすことなくしばらく空を見上げていた。
「人生ってさ」
沈黙を破るように亮太が口を開いた。
「月、みたいなもんじゃない? 満ちたり、欠けたり。月はずっと見えているわけじゃない。見えないときだってある。外的要因のせいで輝けない日だってある。だけどその時、月は消えたわけじゃなくて、ちょっと息を潜めて休憩してるだけなんだよ」
「……休憩?」
「そう、休憩。だから玲奈も一緒。今は息を潜めて休憩してる。満ちるために。その時が来るまで……って思うのはどう? 人の幸せが満月なんだとしたら、人生においては欠けている部分も必要なんだよ。だからこそ、幸せを噛み締められる。綺麗だって思える」

亮太のその表現が、心に、響いた。なんて素敵な考え方なんだろう。だけどいつも何気なく接している亮太からそんな言葉が出てきたことがなんとなく悔しくて、素直に返事ができなかった。
「……叶うならずっと満月がいい」
「そう言われたら元も子も無いんだけどね」
困ったように亮太が笑う。
「がんばれ」

しばらくして亮太が立ち上がった。きっと帰る合図だ。私もそれに続いて立ち上がる。
どのくらいの時間が経ったのだろう。いつもならスマホで時間を確認するのだけれど、今日はあの明かりをつけたいと思わなかった。今、この場所を照らすのが月の光だけであってほしいと思った。

「明日も、綺麗な月がみえるといいな」
駅の改札口でそう言った亮太と私は別々のホームへと向かった。
向かい側のホームで携帯電話をいじる亮太を視界の片隅に置きながら月を見上げた。さっき亮太には言えなかったけれど、明日は今日以上に綺麗な月は見えないのだ。だって今日こそ、月が一番輝く満月の日、だから。だけどそんな一番綺麗な月を、今日、あの場所で、亮太と一緒に見ることができた。たとえこの後、月は欠けていく一方だったとしても、またいつか、満ちてくる。

電車がホームに滑り込んできた、と同時に携帯電話が震えた。亮太からだった。そこにはメッセージが一行だけあった。

――きっと大丈夫。

電車に乗り込んで窓越しに亮太を見た。亮太は口をパクパク動かして何かを言っていたがわからなかった。そんな私のことなんて気にもかけずに電車は走り出す。

――ねぇ、最後なんて言ったの?

そのメッセージに既読はついたけれど、返事はなかった。
ただ一つ、にっこり笑ったスタンプが送られてきた。

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