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[小説] カンブリア・ヒルズ|003|デウス・エクス・マキナ (1)

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 ハヤトNo.8 はスプーンを握ると後方に向かってブンと振り下ろした。ベチャっと音がしてスプーンに乗っていた豆腐が床に叩きつけられた。

 その潰れた豆腐から、むくむくとヒト型が次々と出現し、立ち上がったかと思うと、まるで昔のクレイアニメの人形のように、ぎこちない動きで “おいっちに おいっちに” と明後日の方向へと行進を始めた。

 「あらあら、ハヤトちゃん、ダメでしょう、お豆腐を飛ばしちゃ…。」
 彼の母親であるミカヨがキッチンから駆け戻り、豆腐から出現したヒト型たちをティッシュで拾って握りつぶしゴミ箱に捨てた。

 その対応にハヤトNo.8 は不服だったようで、口を尖らせ「ブブブブブブゥバブブブブバウブブッ!」と唾を飛ばして抗議した。飛び散った彼の唾からもむくむくと小さなヒト型が立ち上がり、歩き始める。

 が、ミカヨはそんなことでは動じないのであった。だって彼女は母親なのだから。散り散りに動いているヒト型たちを布巾で拭い取り流しに捨てた。

 「むやみやたらにヒトを作ってはいけません。」
 冷静にそう言い放つと、ミカヨはお椀の中でふにゃふにゃになった豆腐と大根の残りをスプーンですくってブーたれているハヤトNo.8 の口の中へと運んでは流し込み、運んでは流し込んだ。

 もぐもぐ、ごっくん。豆腐の味が口の中に広がって、たちまちハヤトNo.8 はキャハハと笑顔になった。

 ハヤトNo.8 はデウス・エクス・マキナ計画によって、邂逅暦3605年に誕生した人工の創造神である。
 全部で10体作られた中で、ハヤトNo.8 だけが唯一正気を保ち生き延びた。

 ヒトはかつて、生殖という行為でその数を増やして来たが、原因不明の病の影響で生殖能力を失ってからは、クローンの技術によりかろうじて種族の存続を維持して来た。

 だがしかし数百年もの長きに渡り交配が行われなかったことによって、ヒトは弱小化し、絶滅の危機に瀕する結果となってしまった。

 今や人間の寿命は20年に満たない。次々とクローンを作ってはいるものの、幾度となくコピーされた遺伝子は色あせ擦り切れ、もはや伸び伸びに伸びたテープのように弱々しく千切れる時を待つばかりの状態だ。

 このままでは人類は滅亡する。
 そこで人々は、何とか別の方法で “ヒト” を生み出す術はないものかと研究を始めたのがデウス・エクス・マキナ計画だった。

 ハヤトNo.8 は、人間の細胞ではなく、人工細胞を機械的に分裂されることによって生まれた。
 自然界にはない遺伝子の配列をもっており、その最大の特徴は、直接触れたり、間接的に関わったりすることで、生命を生み出す能力を持っているところである。

 生まれたばかりのハヤトNo.8 は、まだ完全な人間を生み出すことはできないが、既にその才能を開花させており、何でもかんでも命を与えてしまって母親役のミカヨを困らせている。いたずらっ子なのだ。

 ほら、ちょっと目を放していると、また歪なヒト型を5体作って遊んでいる。彼はまだ幼すぎるために、ちゃんとした訓練を始められるのは数年後だ。

 それまでは、ヒト型を作るよりも、まともな感性を持った良識ある人間に育て上げることが重要だ。
 人類の行く末は、ハヤトNo.8 が作り出すヒトにゆだねられている。創造神は絶対的な “善” でなければならぬのだ。

 ミカヨは、兎にも角にも、最良の躾を施し、ハヤトNo.8 を人類の代表と呼べる人格者に成長させるために大変な訓練と勉強をしてきたエリート母親なのだ。

 こうして、熱心な教育者であるミカヨに育てられ、ハヤトNo.8 は反骨精神強めの……かなり反抗的な少年へと成長した。
 クローンばかりを育ててきた人類は、異質な性格を持った子供を育てるノウハウを失ってしまっていたのだ。

 10歳になるまで育ててくれたミカヨは既にこの世になく、二代目の母親 マリナが彼の世話をしていた。
 思春期にさしかかろうとする年齢になり、ハヤトNo.8 は扱いにくい性格をますますこじらせ、彼に関わる全ての大人を困らせていた。

 「こら、ハヤト!待ちなさい!」

 今日もマリナの叫び声と共に朝が始まり、少年は家を飛び出した。毎日の退屈な人間製造訓練なんてもううんざりだ。
 もう1秒たりともあの授業は受けたくない。

 裏庭の柵を飛び越え、お気に入りの雑木林に向かって一目散にハヤトは走った。家の裏の道をまっすぐ行くと、大きな湖がある。

 雑木林はその湖のほとりにあるのだ。そして、人が住んでいない小さな小屋が建っていて、ハヤトはそこを秘密基地にしていた。(と言ってもみんなが知っているのだが…。)

 冬の足音が迫る森は、黄色や赤に葉が染まり、地面は落ち葉でフカフカだ。ハヤトはそんな森を走り抜けるのが大好きだった。いつものように駆け抜けて、ハヤトは秘密基地の小屋へと向かった。

 小屋のドアを開け、古びたロッキングチェアーを引きずり出し座った。柔らかな朝の光がそっと顔を撫でて、ハヤトの心は幸福感で満たされる。

 遠くからワンワンと犬の吠える声が聞こえて来た。ロルフが来たんだ。美しい中型の犬が走ってくるのが見えた。ロルフ。誇り高き狼の末裔。

 ロルフはたちまち近くまで走って来て、ハヤトの膝の上に飛び乗った。ロッキングチェアがギシギシと揺れる。相棒に会えた喜びを全身で表現しながら、ロルフはハヤトの顔をべろべろなめた。

 「おはよう、ロルフ。よく眠たかい?そろそろ寒くないか?今日から家で寝るか?」

 ロルフは半野生の犬だ。ハヤトにしか懐いていない。

 ロルフはワフッワフッと嬉しそうに吠えると、地面に飛び降り、湖の方へと走って行ってしまった。そこらじゅうを駆けずり回るのがロルフの仕事だ。

 そんな相棒の様子を眩しそうに見送り、ハヤトは椅子に座ったままの姿勢で地面に落ちているドングリをいくつか拾った。手の中でもてあそんでいると、そのうちの一つがヒト型になった。

 訓練をさぼっているせいで、ハヤトの人間創造のスキルは上達していない。元ドングリのヒト型は手のひらサイズの可愛らしい女の子の形になり、ロッキングチェアーのひじ掛け部分を危なっかしい足取りでヨタヨタと歩き始めた。

 ハヤトは小さな女の子を優しく両手で包んで持ち上げ、そっと口づけをしてから危なくない地面に置いてやった。

 ロルフが向こうの雑木林のあたりを駆け回っているのが見えた。
 そういえば、あそこにおいしそうな実が生っていたいたな。グルグルグルとハヤトのお腹が鳴った。

 よいしょと椅子から立ち上がり、ハヤトは昨日実を見たあたりに行ってみた。木の上に赤い実がいくつか生っていた。ロルフが興味を持って近寄って来た。

 ハヤトはぴょんとジャンプし、実を一つ取ると、ガブリと一口ほおおばった。

 と、そこで前方に見慣れない人が立っているのが見えた。
 こちらを不思議そうに見ている女の子?ハヤトより少し年上だろうか。おかしな形の服を着ている。
 女の子の身体は、時々ノイズが走ったようにザザっと揺れて、実態がないかのように見えた。

 女の子に気を取られていたハヤトは、口にほおばった果実を飲み込み損ねて、のどに詰まらせてしまった。
 いつもだったら、こんなものはすぐに吐き出せるのに、今日は変なふうに塊がつかえてしまって、どうにもならなかった。
 ぎゅっとのどの奥に入ってしまった果実がハヤトの呼吸もふさぐ。

 目の前が真っ白になって、世界が傾いていく。

 ハヤトはバタリと地面に倒れてしまった。

 ロルフが激しく吠えている。

 女の子はたじろいだ様子で少し後ずさりをしたが、急に状況が把握できた様子で、ハヤトの方へと駆け寄って来た。

・・・


 マヤコは目の前で何が起きているのか理解できなかった。
 自室で謎のジオラマを眺めていたと思ったら、急に森の中にいたのだ。

 ここはどこ?と考える間もなく、前方で男の子が倒れるのが見えた。
 何かをのどに詰まらせたようだ。男の子のまわりではシェパードのような犬が激しく吠えて、まるでこちらに助けを求めているかのように、右往左往している。

 マヤコは咄嗟に、ニュースで見た食べ物を詰まらせた時の処置を思い出した。急いで男の子の背後から腹に腕をまわし、彼の身体を持ち上げて圧をかけた。グッと力を入れると、ポンっと口から何かが飛び出した。

 男の子はゲホゲホと咳込み、意識はあるようだった。マヤコはホッとして、ようやくあたりを見回した。

 赤い実の生っている木。 湖。 向こうにチラッと見える小屋。

 犬と少年。

 ここは…。間違いない。こんなことってあるだろうか?マヤコは今さっきまで見ていたジオラマの中にいるのだ。

(つづく)
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