言い訳をしない。これが私の答え。
こんにちは。
4月、発信をおさぼりしていたちうこです。
その間、私はあるお仕事をいただいていました。
簡単にいうと、イベントのレポート記事。
なにがあって、どんな風に進行して、どんな狙いでイベントが行なわれていたのかを正確に伝えていくお仕事。
正直言って、めちゃくちゃ難しかった。
そして、めちゃくちゃしんどかった。
月末にワクチン接種後の副反応で、熱が38度まで上がった時「あれ…熱出てないときのほうがしんどかったぞ…」と思うくらいには疲弊した1ヶ月でした。
でも、これ以上ないほど貴重な機会をいただき、そこから私は多くのことを学ばせていただきました。心から感謝。
今は、心も体も元気になり
5/4のノジマステラ×ラブタコスに向けて準備中です!!!🌮💚❤️
(みなさん、来てくださいね~笑)
さて。
今回この仕事を通して書きたいことは
「自分の答えを決める」ということと
「言い訳をしない」ということ。
ライターとして、選び、決め切ることの難しさ。
それを踏まえて、これからどんな自分でいたいのか。
そんなことを文章にしていきたいと思います。
覗いていただけたら嬉しいです。
書かないことを選ぶ
今回の仕事の中で私は
発達障害の方、知的障害の方の取り組みを間近でみる機会をいただいた。
知らないことしかそこには存在していなくて、いかに普段、自分が狭い世界で生きているのかを痛感した。
ライターという活動を通して
自分の世界が広がるというのはステキで有難いと感じている。
…それでもライターは
知って終わりの仕事ではない。
多くの情報の中で
必要なものを選び抜き、書いていく仕事。
自分がnoteではなく、仕事として活動を始めてから、幾度となく葛藤している部分。
例えば今回でいうと…
私がイベントでお話を伺っている時に、1番刺さった話だった。
これらを、私は仕事では書かなかった。
それが求められていることではなかったから、選ばないようにした。
私はこっちを書きたかったのに!という次元の低いことは、さすがに言わない。
けれど、言葉の、言葉を扱う仕事の無力感は少しだけ感じている。
現役のライターさんである佐藤友美さんが
ある本で言っていた。
この言葉に私の心は激しく共感した。
書くことは
あったはずの世界を狭めてしまうことでもある。
私が文章を書くことで、伝わるものもある。
その分、書かなかった事実たちはその影に隠れてしまう。
ライターは、書く仕事でもあり
書かない仕事でもある。
そんなことを、今回の活動で強く感じた。
ちうこの原稿、連続バラバラ殺人事件
そして、肝心の原稿。
関係者のお偉いさんに、調子はどう?と聞かれたときに「準備だけは完璧です!」と自信満々に答えるくらいには、自分が思いつく限りのことをやって臨んでいた。
イベントが終わると、タイトスケジュールの中、原稿を書き上げていく。
あまりにも時間がないので、4時半起きとかいう、あほみたいな時間から仕事をしていた。
なんとか自分が納得のいく形までもっていき
よし。いい感じ。と思って提出をする。
・・・返ってきた原稿は・・・
原型をとどめていないほどの朱(添削)をいただいていた。
私が書いた文章の、遺体すら見つからない。
…1月の私に伝えたら、発狂している。
その調子で結果、トータル3回ほど直しをいただいた上で、編集の方に原稿の最終チェック。
そこで私は、さらに衝撃的なお言葉をいただいた。
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