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私にとって勉強は「必要悪」

昔から「勉強は必要悪」だと思っている。たぶんその考え方は、長く会社で冷遇されながらもある程度の地位に昇り詰めた父親の実利主義の影響が強い。

「学問は生きていく上で必要だが、机の上の勉強だけでは食べていけない」

それが父親の持論だ。聞けば当時としては珍しかった大卒の父親自身が、社会で苦労する中で痛感してきたことから得た教訓らしい。

もちろん、それが必ずしも正しいとは言えないが、九州大学のポスドク爆破自殺のニュースなどに接すると「机の上の学問を極める仕事で食べていける人はほとんどいない」と今も繰り返し言う父の言葉は真実だと思う。

この世知辛い世の中で生き抜くためには学がないと困る。だから必要最低限の勉強はしてきた。

また、親が無理をして短大まで出してくれたので、学費の元を取るために必死で勉強して英語教員免許も取った。

もちろん就活や就職後に必要な勉強もよくやったと思う。

さらに言えば、海外生活で現地語や英語を話せないのは死活問題だったので、必死でそれらの言語を習得した覚えがある。帰国後20年近く経った今はほぼ忘れてしまったが。

しかし、純粋に勉強が好きかと問われれば「NO」だ。もっと言えば「嫌い」である。

私にとって勉強は楽しむものではなく、生きるために必要であれば嫌でもやるべきものでしかない。

端的な例を言えば、高校2年の進路相談でのとんでもエピソードがあるので紹介したい。

担任 志望学部は?
私 まだ決まっていませんが、就職で有利であればどの分野に行っても必死で勉強します
担任 おまっ…大学は学問しにいくところだぞ
私 それは建前ですよね。実際にほとんどの人が大学で学んだことを生かせる仕事に就いていませんが、先生はその点をどうお考えですか?
担任 …(唖然)
私 女は大学で学んだことを生かせないまま企業で使い捨てされるのが関の山。私にそれを打ち破るほどの頭脳はありません。であれば、下手に学問を追求するよりも、レベルがそこそこでも給料が高い企業に行ける学部学科に行きたい。就職後はいつ辞めさせられてもいいだけのお金を貯めます!
※結果的に、それを実行したことがどれほど我が身を救ったことか…(遠い目)
担任 …そういう考えならいっそ就職したらどうだ?
私 それも考えましたが、今日日短大くらい出ていないと就職も結婚も不利です。だから進学します。

…今考えれば、担任の方があきらかに正しいことを言っていた。私はなんと生意気な生徒だったことか。今思い出すだけでも赤面レベルだ。

また、確かに大学は学問を極める教育機関であり、私のような人間には相応しくない。

大学を出た人間の方が先の人生で圧倒的に有利な時代になっていたので、ぜひ行きたかったとは思う。でもそれでは大学が持つ本来の目的と乖離する。

そう考えると、私には短大が分相応だった。いや、高卒でも十分だったかもしれない。親に余計な散財をさせてしまった。

しかし、実際にはどうだろう。学問を極めた高学歴の人間が生きる力を身につけられず、貧困に陥るケースも多い。

時代だなんだのと恨言を言う人も多いが、運も実力のうち。その運を上手に掴めるかどうかも才能の一つだ。

せっかく運を掴みやすい才能や資質があるのに、それが出来なかったのは変なプライドなどが邪魔したからではないだろうか?と私は思う。置かれた場所で花を咲かせるのも才能のうちだろう。

そもそも、大学で学問を極められるほど恵まれた財力や才能、そして学問を追求する喜びを感じられる大きなアドバンテージを持ちながら、なぜそれを生かして人並みの生活が送れないのか不思議だ。それを持っていなくても人並みに生活している人は多いのに。

そういう人は、私が持っていない素晴らしい頭脳を無駄遣いしている。実にもったいない。私がその全てをもらえたら、絶対「元を取る」のに。

ああ、だいぶ私情が混じってしまった。

…まあ、残念ながら私も偉そうなことを言える立場にはいないが、とりあえず今のコロナ禍の中でも生活には困っていない。もちろん、自殺に追い込まれるほど不幸でもない。それだけで御の字だ。

短大で学んだことでは一銭も稼げなかったが、なんとかこの年まで生き抜いてきた自分を恥じる必要はないと今確信している。

現在、僅かでも書く仕事でお金をもらえているのは、銀行時代に身につけた業務経験や長年の子育て経験、私なりに苦しんだ末に乗り越えてきた試練を通して、「実学」で身につけた知識のおかげだ。そのようなところにこそ、私の学びはあると実感している。

学生時代は高い学費の元を取るため、社会人になってからは仕事や子育てでどうしても必要だから勉強をやる。それ以外のモチベーションなど持たぬまま、今日まで生きてきたのだ。

それを思うと、やはり私にとっては、勉強とは生きるための必要悪でしかない。

でも、純粋に学問を楽しめる人は幸せだとも思う。おそらくなんの利害関係もなく知識が広がる喜びを知っているのだろう。

私はついぞそのような喜びを勉強や学問に感じたことがない。学んだことが実生活に役に立たないと、決して勉強で満足感は得られないのだ。

今思えば、それは私にとって不利な方向に働いたこともある。それで、たびたび自分の考えを疑った。おそらく純粋に勉強にハマれる人ゆえのアドバンテージもあるに違いないと思ったのだ。

…まあ、そう考えてしまうあたりですでにダメなんだが、学問を追求することが楽しい人を純粋に羨ましいとは思う。そういう人にとって、さぞや世界は広いことだろう。私には一生見られない世界だが。

現在、仕事上必要に迫られたので、渋々資格取得を目指して勉強を始めた。机の上の資格など実務ではほとんど役に立たないと思ってきたが、今の仕事では机の上の資格だけでもないと困るとわかった。

そうなれば話は別だ。なんとしても資格を取らねばならない。

…というわけで、ようやく重い腰を上げて本気で勉強を始めた次第だ。覚えが悪すぎて泣くしかないレベルだが、とりあえずやるしかない。これは「私にとって必要不可欠な勉強」だから。

……ああ、なんとかこのモチベーションが資格取得まで持つことを祈りたい。

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