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元駐妻の昔話

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記事一覧

ゲロに始まりゲロで終わった香港駐妻ライフ(1)香港ライフ初日編)

※注意:食事中の方は厳に読むのをお控えください 2001年3月末、私と小学生の子供たちは生ま…

楓
3か月前
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911の記憶とともに色々考えたあれこれ

911に崩壊したツインタワーには、かつて私が銀行で一緒に働いていた人が数人いた。その中の一…

楓
11か月前
2

SARSとCOVID-19に関する日々の雑感(備忘録)

※前半部分はスレッズから転載。 2003年にSARSが流行した時は私自身がその渦中にいて大変な思…

楓
11か月前
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生きづらさを感じたら日本を出る選択も検討してほしい

社会の中で、生きづらいと感じている人は多いだろう。私もその一人として多少の生きづらさを覚…

楓
4年前
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【新型コロナ】SARS流行下の中国で、小学校が臨時休校した時の家庭学習について

新型コロナウイルスによる臨時休校で、お子さんの勉強について不安を覚えている親御さんは多い…

楓
4年前
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【新型コロナ】まあ落ち着け。なるようにしかならない

2003年にSARSが大流行した時、私は死者が多数出た中国南部に住んでいた。 政府も医療機関も報…

楓
4年前
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中国の入国管理局で「この国では、ハウスワイフは職業とみなします」と言われた話

駐在員家族として移り住んだ中国で最初にしなければならないことは、長期滞在の手続きを行うことだった。そこで、私も子どもを連れて入国管理局に出向いた。その時、これまでの既成概念を大きく変えるような出来事が起こった。 それは、長期滞在の手続きをとる窓口で起こった出来事。その出来事が初めて外から日本を見て「日本のここがおかしい」と気づくきっかけになったのだ。 ◇ 手続きに必要な書類をその場で書いているとき、職業欄のところでふと手が止まった。小学生の子どもは「学生」だが、自分の職

中国到着後3日目に食べた地元チェーン店の料理が強烈だった(2)

少し間が空いたが、前回の続きを書きたいと思う。 こちらが前回の話。一読していただければ幸…

楓
5年前
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中国到着後3日目に食べた地元チェーン店の料理が強烈だった(1)

ずっと更新をさぼっていた駐妻マガジンですが、こんな過疎化しているのにフォローしてくださる…

楓
5年前
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海外生活初日の記憶は「ゲロ」しかない

しょっぱなから汚い話ですみません。今日は、海外生活初日に起こった強烈なエピソードについて…

楓
5年前
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駐在員妻など全く望んでいなかった

20年ほど前、駐在員妻(以下駐妻)としてアジア某国の大都会で暮らしていました。今回はその当…

楓
5年前
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