「モリ―先生との火曜日」☆

こんばんは。千歳ゆうりです。

読んだ本は 「モリ―先生との火曜日」です。おすすめ度は☆。正直ドキュメンタリー番組見る、で十分な気はしています。

今日はゆるっと、感想文というより、これを授業中にドキュメンタリーで見た、という好きなひととのやり取りの、自分の言葉のみを抜粋して書いてみます。
ゆるっと読んでもらえれば。

うーん、と良くも悪くも文章表現があっさりめでむちゃんこサクッと読み終えてしまった

死を目前にしたドキュメンタリーみが強かったしモリ―先生もそんなに長くしゃべれないしモリ―先生の言葉自体も深い考察が必要というよりシンプル、簡潔、な言葉が多く、わりあいテイストとして泣かせるドキュメンタリー系だから正直これテレビ番組で良かったんじゃないかと思う……本である必要性あったかなあと思うくらいあっさりだった

あれだよね、全体主義、みたいなところって、「もらうより与えなさい」的な部分、個人的には、「末期の目」的なことをモリ―先生も言ってるけど、芥川が言う「末期の目」はどこか影が濃いような清々しさだけど、モリ―先生になった途端に陽射しが柔らかいような清々しさに変わるなあとか思ってた
いずれにせよ清々しいんだが

まあ仏教とかいろんな宗教のいいとこどりをできる寛容さのある先生で、いろいろな宗教の死生観を興味深く調べていたとは書かれていた

「生きる実感を得るために、もらうより与えたい」というの、究極な個人主義だよなとは思った

「自分が相手に何をしてもらうかではなく、相手に自分が何をしてあげたいか考えなさい」みたいな、全体主義的な話わりとするし、それこそ「愛が最後は勝つ」と繰り返しているところに宗教味があるんだけど、一方で、 そのバックボーンは宗教ではない(宗教のごった煮であるということは、モリ―先生自身が何を信じるを選んでいることに他ならない)、ということを考えると、 (ついでに言えば死後自分のことを覚えていてもらいたかったんだろう、みたいなことを著者が考察していたり、自分が父親の死体に後から出くわすというトラウマがあるから死に目に間に合わなかった、みたいな想いをモリ―先生は自分の子供にさせたくないと思っていた、みたいな話に私個人が独善を感じたというのもあるんだが) 自分はどういう姿を誇りと定義して死ぬか、という究極の個人主義だと思うんだよね、みたいな

自分だったらこうされたいな、と思うことを、何の疑いもなく相手にしてあげて、それで本当に相手が救われちゃうタイプの人だと思うんだけどモリ―先生、そういう方に私は根本から共感ができない、みたいな話がある(そこで、それは独善ではないのか?と自問することすら思い浮かばないみたいな人は多分根本で考え方が合わな

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