「私とは何か――「個人」から「分人」へ」 ☆

individual(英語で個人の意)のもとは、「これ以上分けられないもの」という意味があり、化学がわかる人ならば原子、atomと語義としては似たような感じなのだが、これがヒトが社会を作る際では個人が最小単位になるから、というわけで個人という意味になったという。個人、すなわち、これ以上分けられないもの、に対して疑問を投げかけ、個人は相互作用し合うひとに合わせて変化した自分、つまり分人の集合体ではないか、と説いている一冊である。すごくざっくりした言い方になってしまうが、朱に交われば赤くなる、というのを丁寧に説いている本だと言ってもいい。 気になったポイントは以下の3つ。

・もやもやの原因はなんだろう?→分人化の失敗をコミュニケーションエラーとみなすのはなんだかなあ

・谷崎と三島の恋愛論→アサイチで見た推しでときめき補充夫婦

・拙作言及が多い(執筆しながら考えていたことのまとめなんだからそらそうだが)文系のひと、という感じ

読みながらすごいモヤモヤしていた。それは、アプローチに文系みがある、というのもある。文系み、について長くなるが具体例を示すならば、以前、友人が「魔性ってどう思う」と問うてきた。彼女は、魔性のひとが持つ魅力、それはどこから来るのか、が気になっていたようで、いろんなひとに同様の質問をし、やれ「他人に興味がない方がモテるよ」などと言われ混乱していたという。これが、文系み、と思った理由だ。私は友人に言われてまず、「魔性」を辞書で引いた。意味の確認のためである。そして、魔性とは人を迷わせる、誑かせるものだという定義を確認した上で、人間という動物を話術やコミュニケーションを通じて誑かしたいならば、認知科学や行動経済学を知ればいい、と答えた。いかにも論理ドリブンというか、まあ、文系み、とは対象的だとわかるだろう。もちろん、文系に分類される論文でもかなりロジカルに論を展開しているものもあるから、文系み、理系み、というものは厳密に文理の差を指しているわけではないのだが。長くなったが、アプローチが自分の具体的な体験や、小説執筆の際の思考、というもので論理を展開しているという感が薄かったので、まあ多少自分向きでなかったのは確かである。というのがひとつめのもやもやの理由であろう。

もう一つの理由ほうが本質的で、2/3ほど読んでようやく気づいたのだが、著者は、分人というものは「他者(これには読書などの芸術鑑賞も含まれる)との相互作用で自然に分人が生まれる」という考え方で話している。お互いが場に適した分人、それは職場の同僚であったり飲み屋で愚痴り合う友人だったり、を臨機応変に、相手に合わせて引き出していて、それができずに場に合わない分人を出すとコミュニケーションエラーが生じる、というのである。わかる。言いたいことはわかる。ただ、著者に合わせて言えば、私は、「他者に合わせて分人を切り替えることが自然にできない、その場その場でどういう分人を求められているのかわからない」という立場だ。もちろん、自分が何もわかっていないことは弁えているから、オープンな場では本当に当たり障りのない表層的な話しかしないようにしている。自分の深い思考をかなり埋め立てて、浅い思考しかできなくさせるのだ。なんとか自分の思考回路を浅くすることにいつも必死だから、帰宅して1時間ほどは思考がうまく回らなくなる。とにかく、私はあなたに害意はないし幸福を願っている、と最低限伝わってくれれば後はもう何も言わない、著者的に言えば八方美人で中身のない対応と言えるだろう。私がその立場であるからして、「相手に合わせた分人を選べないのはコミュニケーションエラーだ」とでも言うような、ある種無邪気な、この世に黒い羊などいないとでも思っているような論は、素直に、モヤモヤはする。困ってしまうのだ。文系みがある、と先に書いたが、「まあ、世間一般のひと的にはそういうことが『あるある』なのは知ってるよ」としか私には言えなくなってしまう。だから、というかなんというか、現代日本を舞台にした小説、ファンタジーの欠片も無いようなものは昔から自分は好まないのだろう。著者流に言えば、社会一般に適用させる、コミュニケーションを目的とした中身のない会話をするための分人が、私には壊滅的に足りていないのだろう。

と、いうことに気がついて読むのをやめようかとも思ったのだが、本の良いところは人格を排せることである。頭のいい人の話は、たとえ共感を示すことは絶対にできない、と思うようなことでも面白いことは間違いないのである。実際、谷崎と三島の恋愛論は実に面白かった。著者の文学への深い造詣を思わせる。明治の日本人が、海外から輸入したその概念に、右往左往していたのがとてもよくわかる、という感じである。恋とは一過性の情熱で、それもそれで大事だが、愛は持続可能性、といったようなことを説いていて、普遍的だが説得力があった。個人的に、三島は恋であり谷崎が愛である、というのは面白く感じたポイントである。その視点で文学作品を読んだことはなかった。著者流に言い換えれば、家族向けの分人というのは存続を優先するのに対し、恋人向けの分人というのは一緒にいてより自分を好きになれるような分人が望ましい、というのはなんとなくわかるような気がする、ところである。

総評として、頭がいい専門職(作家業と言うならまあそうなんだろう)の話として面白いが、わりあい論理に比重が大きい自分からすると「まあ、世間一般のひと的にはそういうことが『あるある』なのは知ってるよ」という面も多かった。また、小説執筆の折に考えたこと、であるために、著作への言及が多かった。やっていないゲームの設定資料集を読んでいる感じ。面白いんだがネタバレ踏みそうで……いやまあこの著者の作品読むかと言われたら今のところ読む予定はないけれども……という感じではある。

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