「タコの心身問題」☆☆☆

こんばんは。千歳ゆうりです。

「タコの心身問題」という本の感想です。おすすめ度は☆☆☆。

大学の時の地学の教授で、面白い授業をしていた(少なくとも、ポケモンマスターを目指していた時期がありました、という自己紹介から入り、私が「人と妖怪が異なる種であれば、半妖の子供まではありうるがクオーターとかその手の漫画の表現は生物学的には間違っているのではないか?」という小論文を書いても笑って許してくれたのだから、面白い先生であったことは間違いないだろう)ひとが、お勧めしているのをちらと見たため、読んでみた。面白かった。

動物の起源

本書は、「動物」というものの起源から始まる。ざっくり言うと以下のような説である。
単細胞生物→多細胞生物(海を漂っている)→海綿(海を漂うのをやめて海底にはりつく)→動き回るようになった海綿が動物の始まり?
私も大学の時に海洋研究所に3泊4日してスケッチを書くという授業を選択したことがある(1泊1万円にも満たず、それで単位がもらえるならありがたいという下心であった。絵心が無いことを申し込み後に思い出して冷や汗をかいたが、今思えばよく頑張ったと思う)。そこで、海綿を採取し、これが動物の起源である、という話を受けたが、そのとき見た海綿を思い出していた。地上の動物より海の動物の方がはるかに多様で数が多いことも。海綿のほかにも磯で生物を採取し、顕微鏡を見ながらスケッチをとり、イカを捕まえ、顕微鏡を見ながらスケッチをとり、研究用のクルーザーで船酔いして吐しゃ物を海に吐き散らし、顕微鏡を見ながらスケッチをとるといった日々であったが、あのときの「生きた体験」は不思議とよく覚えている。そんなことを思い出しながら読みすすめていた。

人間含め、動物と言って思い浮かべるもののほとんどは多細胞生物であり、細胞同士の連携が肝要だ。そのあたりの話が、高校の生物基礎でやるはずであるし、詳しい化学の話は大学に入るなり薬学部に進むなり(当然医学部もそうか)すれば聞く話ではあろうが、細胞同士のやり取りというのは、改めて考えてみれば途方もない話である。当然、それぞれの細胞が無秩序に動いていたらたまったものではない。司令塔のようなものが存在するはずで、このシステムを著者は「行動-調整親」と呼んでいる。

そして、「動」物である以上、外の世界に自分から働きかけるわけだが、そのためには外の世界がどうであるかを知るセンサーが必要であり、センサーから得た情報を処理する必要がある。 すべての動物は、これを、どうにかして、行っているのだ。このシステムを著者は「感覚-運動親」と呼んでいる。

タコから見た世界

タコ。頭足類。およそ、自分の目よりも大きい隙間であれば通り抜けられてしまう海のモンスター、だが、彼らは人類の属する哺乳類とは随分前に進化の系統樹は分かたれている。だというのに、彼らには認知機能と呼んで差し支えないものがある。不思議ではないか?つまり、全く関係のないところで、哺乳類や鳥類と同じように、タコやイカも脳を発達させたのだから。そして、ではタコの認知と人間のそれにはどれだけの乖離があるのだろう?というのが本書の主題である。

タコを用いた面白い実験を著者は上げているが、その前に、動物を使った実験、特に、動物を使って、「その動物の認知をはかる」ことがいかに難しいか、思い知らされた、ということを述べておきたい。 タコは好奇心旺盛な生き物で、頭が良い。どう頭が良いかというと、人間を区別することができるのだ。わかるだろうか?髪型を変えようが、服を変えようが、嫌いな人間がくればきちんと識別し、墨を吐きかけることさえあるという。そして、大抵のタコが水槽からの脱出をはかるのだそうだ。脱出したとして陸上ではどうしようもないだろうに。好奇心ゆえなのだろうか。タコは、明らかに捕食対象じゃないとわかっていても、人間に腕を伸ばすことが多いという。
そんな動物に対して、どう、「認知をはかる」のか?結構これが難しい、というのは本書を読めばわかる。例えば、「レバーを引いたら光が点滅し餌を食べられる」という装置を用意し、レバーを引いたら餌が出てくるということを学習できるか、を実験しようとする。タコの場合、餌なんてそっちのけで、ただ、「光が不快だから」という理由でランプに構いだす。これでは、「レバーを引いたら餌が出てくるということを学習できているのか」判別のしようがない、というわけだ。 ちなみに、このあたりの実験の話は実に興味深い。タコってこんなに頭良いんだ……とちょっとびっくりするレベルである。(どこぞのアズールアーシェングロットを思い出している)

タコが見る世界は、どのようなものなのだろう。タコのニューロン数は5億個と多い。そして、彼らのニューロンは頭にもあるが腕にもある。どうやら、腕にも感覚器があるとわかっている。中央集権的に、頭で考えたことを脳から伝達させている人間からは想像もつかないのだが、つまり、「腕も考える」ことができるわけだ。これに関しては面白い実験結果を著者は述べている。迷路の先にある餌をタコに取らせるのだ。そして、迷路の一部においては、目で見ればわかるようにできており、水は存在しない空間にしている(タコの腕の感覚器は水中の物質を読み取るため、腕の感覚器を封じ、目から、つまり目で見て頭からなされた指令でタコが腕を動かせるか見たいわけである)。結果として、タコは餌をとることができた。このことから、タコは、腕も考えるし、頭も考える生き物だとわかる。中央集権型と分散型のハイブリッドというわけだ。頭だけでなく、腕それぞれが思考と腕の制御ができる、その生きている感覚はどのようなものだろう?

主観的感覚、という言葉の定義から始めなければならない問題に果敢に挑む著者の姿は一読の価値がある。認知、感覚というものはどうしても実験ではわかりにくい。特に、違う動物では視覚等感覚器から入る情報も全く異なるわけで、(タコの腕は化学物質を使って感覚器として機能しているが、ではそのときの感覚がどのようなものか、人間からはどうあがいても想像ができないだろう)自分以外の生物の主観的感覚を推して知るなど土台無理な話ともいえそうだ。著者は、わかりやすいものとして痛みの感覚についてあげており、タコも欠損部位をかばうようなそぶりを見せることから、痛みを感じているのかもしれない、と述べているが、真偽はわれわれが人間である以上わからないと言えばわからないのだ。 また、少し話が逸れるが、面白い話もある。視覚として認識してはいないが、見えている、という例は人間でも存在する。事故で脳に損傷を受け、「自分の視界がぼんやりとしており何をみえているかはわからない」盲目になった女性が、なぜか、周囲にあるものを扱うことができる、という事例である。細い隙間から手紙を投函することはできるのだが、視界からの情報としてわかるのはぼんやりとした斑点だけであり、ポストの隙間についても言葉で説明することができないのだという。主観的感覚として「見える」ことと、センサーとして「見えている」こと、これが重なっていない状態は、人間としては想像しにくいのだが、ありうるということなのだろう。

タコの生きている感覚はどのようなものだろう?結論を言えば、一応著者がそれらしい、と述べている意見としては、人間は自分の体も含めて一つの個であると信じているが、タコからすれば頭と腕は指揮者と奏者という別個のように自認しているかもしれない、というものである。人間からしてみればずいぶんとトンチキなことに思えるが、そういう動物もいるのだ、と思うと、世界は広いというか、面白いというか。

なぜ老化するのか?

タコの寿命は2年程度だという。そも、上述のようにニューロンやら感覚器やら、コストをかけすぎという面もあるようだ。圧縮された経験、と著者は呼んでいるが、もともとタコは社交的な方ではない。オスとメスで子育てをする、とかもなく、オスから精子の入った袋をメスがもらい、卵を抱え、卵が孵ったらメスは死ぬ。もともとタコは独り身のハンターで、群れるといったこともないのだ。そして、ヤドカリから派生し身を守る貝殻を捨てたと考えられているタコだが、身を守るすべもほとんどない。肉食の魚に群れで襲われればひとたまりもない。明日できることは今日する、という生き方なのかもしれなかった。

印象に残っているのは、むしろ、人間も含めた生物の寿命に関する話で、老化に関する話である。一説として、なぜ老化するのか?という疑問に対しては、生物進化の法則として、短期的なデメリットは淘汰されやすいのだが、遅効的に効いてくるものはむしろ蔓延しやすいのでは、という可能性だ。例えば、10代20代で死んでしまう疾患であれば、早死にして子供を残せなくなるから、自然淘汰されていく。一方で、50代、60代になってから死んでしまう時限性の爆弾のようなもの(ソニータイマー……なんでもないです)は、むしろ、蔓延してしまう、老化もそういったものではないか、というのである。 そも、形あるものはいずれ壊れるし、老化というものに疑いを持っていなかった、というのもあるのだが、「老化しなければなにがしかのデメリットが発生し、それを回避するために老化しているのだ」と無意識に思っていたので、まさか、「老化というメカニズムは遅効性の爆弾だったため淘汰されることがなく残ってしまっただけ」という可能性に考え至らなかったので、そんなこともあるのか!と驚いたものである。

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