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心理カウンセラーと詐欺師は紙一重

実は投資詐欺に騙されかかりましてね。

幸いその罠にははまらなかったのですが、凄い精神的なダメージを受けました。一週間職場を休みました。

やっと冷静に自分を振り返ってみることができるようになって、朝、目覚めてみたら、頭の中で一気に構想がまとまってさらっと書き上げたのが以下の文章です。

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実は私は私自身が投資詐欺に「騙されかかった」ことで大変な衝撃を受けて、傷つき、正直に言うと1週間仕事を休んだ。

そうした中でなぜ自分がここまで衝撃を受けたのかについて冷静に自分を見つめなおしてみた。

そして気づいたのは、一見唐突なことを言い出すかもしれないが、「優秀な詐欺師」であることと、「優秀な心理カウンセラー」であることは、実は非常に似ているということだ。

まずはこのことを、私の専門とする、カール・ロジャーズの来談者中心療法の観点からとらえてみたい。

ロジャーズのいわゆる「治療の3要件」、受容、共感、治療者の自己一致・純粋性という問題である。

まず、クライエントさんを「受容」するということは、クライエントさんを「肯定(affirm)」するということではない。あなたの生き方、考え方は「正しい」、それでいいのだと伝えることではないのだ。カウンセラーがそうしてくれているのだとクライエントさんに「誤解」させてはならない。

この点、"unconditional positive regard"が、ロジャーズの旧全集において「無条件の肯定的配慮」と訳されたことには大きな問題があったと思う。今では「無条件の積極的関心」と訳することが多くなったと思うが。

次に、共感的理解(正確には「感情移入的理解」)という奴だが、これは、「あなたの気持ち、わかるう!」などという態度を軽率にとることではない。

ロジャーズは「内的照合枠(inner frame of reference)」から理解するという言い方をしているわけだが、これはひとことでいえば、クライエントさんの思考や価値観の体系の「内側に入って」理解しようとするということだ。いわばクライエントさんの「脳の中に入り込んで」理解しようと努めること。

ただしクライエントさんの考え方に「巻き込まれて」はならない。あくまでも"as if"。これはカウンセラー自身の考え方とは違うな、クライエントさんは何か間違っているのではないか?という、カウンセラー自身の中に生じる違和感や抵抗感のようなものは鋭く「自覚」し続けることと両立していなければならない。その違和感や「違うと思う」ということは軽率にはクライエントさんには口に出さないわけだが。

そして治療者の「純粋性」。これは"genuiness"だが、"pure"であるということではない。ただの純朴なおバカさんであってはならないのだ。自分の中に生じて来る気持ちや違和感や思いに正直に「気づいて」いること。もちろんこれをすぐに口にしていいということではない。いつ、どういう言い方でクライエントさんに伝えるかは慎重に吟味される必要がある。

これら3つを同時に成し遂げる(その結果は「自己一致」していることにもなる)ということは、実は怖ろしいまでに高度なことなのであり、厳しい研鑽を積まなければ不可能な境地である。

これらが皆できてこそ、対人関係において「ほんもの(authentic)」であるということだ。


ところが、高度な「詐欺師」というのは、これらに皆通逸しているのだ。相手の気持ちに寄り添う、思いやりのある言葉かけをする。私は「誠実」であるというフリをして。自分がいかに「ほんとう」であるかを言葉巧みに信じさせようとする。そのためなら「証拠」の写真や動画や図表を動員する。

決して感情に流されてはならない。自分の中に生じてくる漠然としたモヤモヤ、言葉にならない違和感に対して鋭い感受性を維持し続け、信頼できる情報(他の信頼できそうな人の見解に耳を傾けることを含む)を集めて、とことん理性的に判断しないと、とてもこうした「詐欺師」に騙されないように対応することはできない。

相手に対する信頼感と不信感の、両方を天秤にかけ続ける必要がある。


さて、ここで先ほど述べたロジャーズの「治療の3要件」の話題に戻るが、この3つを共に成し遂げることは、対人関係において「ほんもの(authentic)」であるということではあるが、実はこれほど高度に専門性を持った、「大ウソつき」を演じ切るということはないのではないかとも思う。もちろんこれは厳しい職業倫理に乗っ取った、善意からのものではあるが。

一方に非常に「醒めた」自分がいて、自分の「ほんとうの」心の動きがどうなっているのかを鋭く探求し、感受しようとし続けながらも、誠意ある人間であると相手に「演じ切ろうとする」もうひとりの自分を見つめ続け、絶えずコントロールしようとしていなければならない。

ある意味ではこれ以上高度な「役者(俳優)」はいないと思う。

そうであってこそ、それを見る人のこころを打つ。信頼を得る。


実はこれは心理カウンセラーに限らないと思う。政治・経営・仕事をすること、家族やプライベートな対人関係、皆そうなのではないか。

この世は、一介の農夫や工員、電車の運転手、料理人、技術者、福祉、医師、弁護士、経営者から官僚、政治家、研究者に至るまで、誠意と倫理感のある仕事をする大勢の人たちによって支えられていることは間違いない。ほんものの「リアル」がなければ、「リアルワールド」は成り立たない。そうした人たちとの「信頼関係」によってこの世は成り立っている。

その一方、それが自覚的なのか無自覚的(「自己欺瞞」)なのかは別として、この世を多くの「ウソつき」が実権を握り、日本を、世界を動かしている。

もちろんひとりひとりの能力には限界があるから、誰でも「間違い」はおかす。

そして、全くうそをつかないで生きている人など、どこにもいないだろう。

そうした中で、お互いの信頼を深めつつ、自分の気持ちにも正直に生きることは、果てしない精進を続ける必要があると思う。


恐らくこの文章は、私がこれまで書いて来た中で、もっとも誠意ある、ただし血を流した結果として生みだされてきたものであると自負する。

多分に逆説的なことを書いているが、その意図を汲んでくれる方は汲んでくださると思う。

思ったより短くあっさりとまとまったので自分でも拍子抜けするくらいだが、繰り返して読んでみて欲しい。

まだ言葉足らずのところはいくらでもある。例えば詐欺の具体的テクニック(幸いはまってしまうことはなかったので金銭的な実害は出ていない)については実例を別に書いてみたい気もする。

そのへんは稿を改めて、あるいはこの稿を更に推敲して更新しながら、少しずつ述べてみたいと思う。


最後に、一見唐突に思われるかもしれないが、私が最近心から感銘を受け、奥が深い作品だと感じている、アニメ化もされているコミック「推しの子」の星野アイのセリフで締めくくりたい。

「だから、私は、今日もまた嘘をつく
 いつかそれがほんとう(の愛)になる日が来ることを願って」

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