マインドフルネス認知行動療法とフォーカシングの導入部の類似性

私は #マインドフルネス認知行動療法 について正式に学んだことはありませんが、本を読む限り、フォーカシングの導入部は、非常に類似したところがある気もしてきています。

以下は、私の本、「入門フォーカシング」(鳥影社)の最初の2章を全文転載させて頂いたものです。

マインドフルネスを学んだ皆様のご感想を募りたいと思いますので、コメント欄、メール kurumefocusing@mbr.nifty.com等 へのご感想を歓迎いたします。

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■第0章 身体の内側からの感じを「分化」させて味わう実習

以下の内容は、私が初めてフォーカシングを学ぶ方にのみ実施しているものです。

1.まずは深呼吸して、無理のない、ゆったりとした姿勢で座れる体勢を見つけて下さい。・・・足の裏が床に接している感じはどうでしょう?・・・膝の関節がどこにどのようにあるのか、「内側から」感じられますか? 少し動かしてみてもいいです。・・・椅子の背もたれに、どこがどのように接しているかを内側から感じてみるといかがでしょうか?

2.あなたの胸のあたりに内側から注意を向けてみて下さい。・・・どうですか? 何か空洞がある感じでしょうか? 息をする空気で広がったり縮んだりするのがわかりますか? 柔らかいですか? 温かいでしょうか?・・・特に何も感じないというのでしたらそれでもOKです。

3.次に、背中の感じに内側から注意を向けましょう。背もたれから離れたり、また寄りかかったりしてもいいでしょう。・・・どうですか? 胸の感じを感じた時には感じられなかった、色分けされた地図のように「分化した」層があるのに気が付かれる方も少なくないのではないでしょうか。胸より背中のほうが硬いとか、緊張しているとか、何か甲羅を背負っているかのように感じるヒトも少なくないかもしれません。そして、背中の感じを感じられたら、胸の方の感じをうまく感じられるようになるかもしれません。

4.今度はお腹の感じに内側から注意を向けてみましょう。・・・胸の感じとは随分異なる場合が少なくないかと思います。・・・胸と比べて温かいですか?柔らかですが? 胸のあたりよりどんよりとしていたり、ごちゃごちゃしていますか?・・・同じお腹の中でも、ある部分に濃い感じがあるという人もあるかもしれません。

5.今度は腰のあたりに注意をおろしてみましょう。お腹の感じとつながりがありますか?背中の感じとの関わりはどうでしょうか?

6.今度は膝のほうに内側から注意を向けてみて下さい。・・・太もものあたりでも、表側と裏側では随分違った感じになるかもしれません。

7.今度はすねとか足先の方に注意を向けてみてください。再び足の裏が床にどう接しているかを確認してみてください。くるぶしの関節の感じはわかりますか?

8.今度は一気に腕の感じに飛びましょう。・・・結構脚の感じと似た質のものと感じる方も少なくないかと思います。腕の表側と裏側で感じが違う人もいます。手のひらの感じはどうでしょう? 手の甲は? 指先はどうでしょう?

9.今度は肩から首筋の感じに向かいましょう。緊張していますか? 腕の感じとのつながりはどうでしょう?

10.今度は首から上の感じを味わってみて下さい。顔の表面と頭の芯、後頭部では随分感じが違うと気づかれるかもしれません。

11.今度は身体を包む空気の感触を確認してみてください。(季節にもよりますが)温かいですか、涼しいですか? フンワリしていますか? じとっとしていますか?・・・身体の感じとの輪郭はくっきりしているでしょうか? 溶け込んでいるでしょうか?

12.最後に、今度はあなた(皆さん)なりに身体の内側を自由に行ったり来たりして、味わってみて下さい。・・・先ほど部分部分を感じた時とはすでにかなり違った分布になっているかもしれませんね。融合したり消えた感じもあるかもしれません。

 ・・・以上、ひとめぐりしましたが、気になる感じ、どうしてもキツく訴えてくる箇所、そこにとどまっていると心地よい感じなどがあることに気づかれるかもしれません。

身体の限定された場所の感じにそれぞれ気づいていくと、それだけで、特定の感じは自分の置かれた生活や状況と何処かで響きあっていると思われた人も少なくないでしょう。そういう感じに対しては、「この後、フォーカシングの本番でまた相手にしてあげるから」と約束してあげましょう。

身体の感じ自体が比喩的なイメージの形を取ることも少なくないかもしれません。

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・・・私はこうしたことを、特にフォーカシングの初心者が多いワークショップや個別指導の初回にのみ導入しています。個別指導の際には一つ一つ応答形式で進めます(この場合はこちらからの、身体の感じの「例示」は控えめにします)。集団の場合では、終わってからフロアからの感想を募ります。

これをしておくと、フォーカシング本番での身体の反応が、曖昧で微妙なものまで、しかも分化した形で感じられるようになります。

身体感覚と言っても、これは身体症状に浸ることとは随分次元が違うものす。ただ、このやり方を取る限り、身体の中の結構いい感じの部分、ニュートラルな感じの部分を分化してとらえられやすいので、嫌な感じにのみに浸りきることの予防にはなります。

ただ、これをやってもらうと、「変性意識状態」におちいることがあることに注意すべきです。そうした場合には、具体的に話してもらったり、身体をちょっと動かしみたり、目を閉じているのでしたら開けてみるなどをなさった方がいいかと思います。

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■第1章 Clearing a Space……気掛かりの「棚卸し」

フォーカシングの第1のステップは、“clearing a space”(空間づくり)と呼ばれています。

これは、今の自分が健やかな、申し分のない気分でいることを妨げている、「気になる事柄」や「漠然とした身体的不全感」や「気分そのもの」「不快なイメージそのもの」を取り敢えずひとつずつ確認していき、心の脇に積み上げていくプロセスのことです。

そのことによって内面を整理し、一息つけるだけの心の余裕を取り戻すためのものとも言えるでしょう。

*取り敢えず一息つくために気掛かりを脇に積み上げる

あなたが引っ越しや大掃除で、部屋中の荷物の整理をしている光景を思い浮かべてください。おそらく、その作業が佳境に入ると、あなたの部屋は、床や畳がまるで見えなくなるくらいにあちこちにものが散乱する、まさに「足の踏み場もない」凄惨な状況を呈するかもしれません。

作業がなかなかはかどらないことにため息をつきながら、あなたは一休みして食事をとろうとします。

ところが、そもそも座り込む場所すらどこにもないという場合もあるでしょう。あなたは、取り敢えず、身体の回りにある足元のあたりの荷物を別の場所に積み上げて、手足を伸ばせるくらいの空間を畳の上に生み出そうとするかもしれません。

そのためだけでも、あなたは、一度畳の上に積み上げた、何十冊もの本を改めて移動させる必要があるかもしれません。それだけでも一仕事です。

でも、疲れたあなたは、ほんのしばらく横になりたいという欲求に突き動かされて、取り敢えず荷物の一部を脇に積み上げなおすでしょう。

やっと、ともかく足を伸ばしてごろんと横になれるだけの身の丈の空間ができました。

あなたは当然それだけで部屋の整理が終わったのではないことにも気がついています。取り敢えず、脇に積み上げた本の山が、最終的な置き場所ではなく、再び移動させねばならないことも知っています。

でも、1,2時間ぶりに手足を伸ばして横になれたことにあなたは少しほっとします。

ちょうどこれと似たようなことを、心の中の「取り敢えずの」整理としてまずやってしまうのが、フォーカシングの第1の動き、clearing a spaceです。

 

*Clearing a spaceの進め方

clearing a spaceのおおよその段取りは次の通りです。

1.まずは、楽に座れるような場所で、無理のない姿勢をとってみてください。目は開けていても閉じていてもかまいません。

2.自分の内側の身体の感じ、漠然とした気分のようなものに向かって、

「今、自分は十分に申し分のない、健やかな、OKな気分でいられるだろうか」

と問いかけてみてください。

この時、あくまでも今の実感を大事にして下さい。

3.おそらく、たいていの場合、完全に申し分のない、すっきりした気分であることはまずないと思います。さほどたたないうちに、身体のほうから、まるで抵抗したり抗弁したりするかのようにして、何らかの不全感・違和感のようなものが返ってくるでしょう。まるで、「いや、とても申し分がないとまでは言えないよ」と身体が態度で示してくるかのようにして。

4.そのような気持ちや事柄や身体の感じや嫌なイメージがひとつ浮かび上がってきたら、まずは「ああ、なるほど、『これ』がある」というふうに取り敢えず確認するかのような受け止め方をしてあげてみて下さい。

ちょうど、たまたま廊下で出くわして「おはよう」「やあ」とあいさつした同僚やクラスメートが、何か自分に相談したそうな素振りを見せたけれども、自分も余裕がない時に「わかったよ、詳しいことはあとで聞くからね。約束する」と、取り敢えず別れるくらいの受け止め方を、自分の中から浮かび上がってくる気掛かりや感じ、イメージそのものに取っていくのです。

フォーカシングの著名なトレーナー、アン・ワイザー・コーネルは、このようにして、自分の内側から生じてくるものをひとつひとつ受けとめることを、“acknowledging”と呼んでいます。訳しにくい言葉ですが、「取り敢えずその存在を認めてあげる」「気づいておいてあげる」というあたりでしょうか。

その時に最初に自分の中から浮かんできたのは、例えば、「今の自分がすこやかな気分でいられないのは、きのう友人の言葉に傷ついた時の感じが今も<後を引いて>いるからだ」といった具体的な気がかりかもしれません。

あるいは、「何か胸がつかえる」といった体の不全感かもしれません。あるいは、「何が原因かわからないが、何か落ち込んでいる気分でいて、やる気がしない」などのような情動かもしれません。

あるいは、「うす暗い湿った洞窟の中にいる」といったイメージのようなものかもしれません。

しかし、気持ちや事柄、不全感、不快なイメージの中に分け入ってしまう(「深入り」してしまう)必要はありません。

多くの場合、私たちは、気になる事柄や感情の中に一気に「突っこんで」行って、あれこれ思い悩むことこそが「前向きな、問題に〈直面〉する悩み方」であると思いこみがちです。

しかしここで求められているのは、そのようなことをすることではありません。

むしろ、「このこと(この感じ、イメージ)については、詳しく見ていけばいろいろありそうだけど、『ああ、<これ>がある』と確認してあげておくだけにしよう」というぐらいの対応に留めるのでいいのです。

5.次に、そのようにして感知できた、「今の自分が健やかな、申し分のない感じでいることを妨げている気がかりな事柄や、不全感、不快なイメージを脇に置いておいて、「それを『別にすると(except it,)』申し分のない気分になれるかな」と確認していきます。

一度に多くのものを一気に「並べ上げる」のではなく、気分や身体の中から自然と浮かび上がるものについて、一つずつ、丁寧に受けとめていくつもりになる方がいいです。

この「別にすると」というのは、「先ほど浮かんできた気掛かりや身体の不全感や不快なイメージのひとつひとつが解消されていないのはわかっている。でも、取り敢えずそのことを棚上げにしたら、あとはどうだろうか」などと、自分の実感に改めて確認・点検してみる……というあたりの意味に理解していただいていいです。

それらを、ひとつずつ確認していくことをやっていってください。

こうした際に、気掛かりや不全感の程度の差を気にすることなく、大きいものも、小さなものも、浮かんできたままに、「確認してあげて」は脇に置くというプロセスを丁寧に往復し続けることが大事です。

このようにして、自分の実感に照合しながら、ひとつひとつ確認していくと、自分が普段から思っているよりも遙かに多くのことが、今の自分を健やかな気分でいることを妨げるものとして自分の中に感じられて「いた」ことに驚かされることがあります。

一見些細に思われることが、今の自分を結構振り回していることに気付ける場合もあるでしょう。

親との長年の確執といった自分の人生の大問題と、「そういえば、役所に行って面倒な手続きをしないとならなかったんだ」という次元の事柄がどんどん並べ出されてしまうのです。

これはまさに気掛かりの「棚卸し」というべきでしょう。いわば、一つ一つの気掛かりや不全感を丁寧に再確認した上で、取り敢えず「棚上げ」にしてしまうのです。

6. こうして、自分の中の気掛かりな事柄やすっきりしない感じ、不快なイメージを一つ一つ脇に積み出した結果、「こういうのをすべて別にすれば、あとは申し分のない感じでいられる」というところまで行き着けたら、そうやって取り敢えず脇に積み出すだけで、想像以上に心と体の安堵感が取り戻せ、まさに「自分を取り戻せた」感じとなり、多少の内面の安定を確保できてしまう場合もあります。

その結果として自分の中に生じる、ある種の余裕ある広大な空間の感覚、一息ついたかのような感覚を、しばらく大事に味わってみて下さい。

もちろんあなたは先ほど積み出した問題や気分がまだ解消していないことは十分気がついています。そのひと息つける区画の外側には未解決の課題や感情が山積みかもしれません。

※身体から何の返答もない場合

あなたはその時ほんとうにスッキリとしたいい状態なのかもしれません。「いや、結構悩みや問題があるはずだ」とあなたはお感じかもしれません。

そうした課題について、いきなり意識的に身体の感じを見出し、フォーカシングのこの後のプロセスを進めることもできます。しかし、私はこれをあまりお勧めしません。その理由は後述します。

そもそも、自分の中に、健やかで申し分のない、いい感じや安堵感、いいイメージそのものをしばらくの時間じっくりと味わうことそのものも、大事な体験ではないかと思います。実は、そのような「いい感じ」や「いいイメージ」についてフォーカシングの段取りを進めていくことも意味がある体験となる場合があります。

一方、そもそも身体の不全感に気がつきにくい人がいます。しかし、第0章の「身体の内側からの感じを『分化』させて味わう実習」を体験した人にはそういうことは起こりにくいかと思います。

※すべての気がかりや感じを積み出したとしても申し分のない感じに行き着けない場合

恐らく、あなたの中には、それが何についてなのか、どんな感情なのかも不明瞭な形での、言葉で表現しにくい漠としたすっきりしない感じそのものが残っているのでしょう。

そのような、個々の気掛かりを全部脇に積み出したつもりになっても漂い続ける感覚のことを、ジェンドリンは「背景の感じ(background feeling)」と呼びました。

ちょうど、ゲシュタルト心理学で言う、「図(figure)」としてはっきり認識されたものの背後に漂う「地(ground)」の感覚やイメージです。

しかし、そのような、背景に漂うはっきりしない曖昧な感覚やイメージそれ自体を、ひとつの「図」として反転して対象化することができるのです。

「気になることをすべて積み出したあとにも、うまく言葉で言えないにしても、『このような』感じがあるということそのものも、ひとつの感じとして受けとめておこう」。

このようにして、“background feeling”そのものも「対象化」して、認めてあげる(acknowledgeする)段取りを踏むと、少しだけ、その自分に残された感じからも間合いが取れて、一息つけることが少なくありません。

(以下の章 略)

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※なお、「入門フォーカシング」は、著者献呈本が手元にまだかなりありますので、ご住所、お名前、希望冊数を明記の上、
kurumefocusing@mbr.nifty.com
までメールいただければ、送料無料で贈呈いたします。


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