ウマ娘の精神分析 第3章 トウカイテイオー -度重なる骨折にも不死鳥のように蘇る天才ウマ娘-

●史実馬
 
サラブレット オス 鹿毛
 
1988年4月20日 - 2013年8月30日
 
北海道新冠町に生まれます。
 
父親は無敗のままクラシック三冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)を達成した、「皇帝」シンボリルドルフ。「テイオー」の名は、「皇帝」と呼ばれた父にちなんだものです。
 
その特徴として皆が口を揃えたのが「身体の柔軟性」であり、牧場時代には、いつの間にか柵を飛び越えて隣の放牧地にいたという逸話もあります。
 
デビュー戦から4連勝で迎えた皐月賞、日本ダービーも制覇、父親ルドルフに続く無敗のクラシック三冠の期待もかかりますが、日本ダービー直後に骨折していることが判明、療養が必要となり、菊花賞への出場はかないませんでした。
 
回復後すぐに勝利、続いて長距離の絶対王者として君臨していたメジロマックイーンと天皇賞(春)で激突します。
 
しかしメジロマックイーンが堂々の勝利を果たしたのとは対照的に、1番人気に推されたトウカイテイオーは失速して5着、生涯初の敗戦となります。
 
そして更に2度めの骨折。
 
復帰後の天皇賞(秋)では7着。続くジャパンカップで親子2代の制覇を成し遂げますが、有馬記念では11着に終わります。その後3回目の骨折。
 
実に364日ぶりとなる翌年の有馬記念に出走、ビワハヤヒデとの死闘を制し、「奇跡の復活」と言われます。
 
その後4回目の骨折、引退します。
 
非常に美しいしなやかな走りは「テイオー・ステップ」とも呼ばれました。
 
通算成績:12戦9勝 2着・3着0回
 
騎手は安田隆行→岡部幸男→田原成貴。
 
 
●ゲーム・アニメの声:Machico
 
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スペシャルウイーク(第1章)とともに、ゲーム「ウマ娘」の主人公格といっていいキャラクターです。
 
栗色の髪に白いメッシュ。
 
勝負服には肩章があり、青と白が基調。
 
「無敵のテイオー様だぞ。みんなボクをほめてほめて!」
 
という調子で、自分の才能への自信を天真爛漫かつ奔放にまき散らします。
 
実際に入学後の模擬レースで無敗、圧倒的実力を早くも開花させていますが、少年のような純粋さを持っていますので、嫌味とは感じさせず、敵を作ることがありません。
 
生徒会長、シンボリルドルフに子供の頃から憧れており、自分もルドルフのようなウマ娘になることをひたすら夢見ています。
 
身のこなしも実にしなやか。ダンスも歌も得意としていて、ステージでも物怖じしません。
 
しかしルドルフ会長はそういうテイオーのこれからを心配していました。並走や模擬レースではテイオーを打ち負かしてしまいますが、それでもテイオーが、会長はやはり凄いとしか言わないことに違和感を覚えていました。
 
会長は、このままではテイオーの可能性を伸ばせないと感じていたのです。
 
テイオーの方も、ルドルフに負けた時に、「胸の内側にイガイガする感じ」を感じますが、自分でも説明できません。
 
人は、自分の気持ちに十分に気づけない時、言葉にならない、説明がつかない身体のモヤモヤとして体験します(これを私の専門のフォーカシングでは、「フェルトセンス」と呼ぶのですが)。
 
そこで会長は、自分のレースを再び観客席からテイオーに見せるのですが、テイオーはやっと気づきます。
 
自分の中に、会長への憧れだけではなく、会長と実際にレース場で勝負して、会長すら超えた存在となり、会長にほめて欲しいのだということに。
 
やっと自分の中にある、会長への「闘争心」を認めるわけですね。
 
テイオーは会長に「センセンフコク」します。
 
テイオーは、トレーナーの提案した練習スケジュールを軽々とこなしてしまいます。それどころか、早く会長に追いつきたいと思っていますから、会長がやっているのと同じトレーニングに挑戦します。
 
しかしそれで翌日は身体がガタガタになってしまうのですね。テイオーは、やっと、トレーナーと一緒になって考えながら練習を進め、身体面のケアを受けることの大事さを理解します。
 
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テイオーのような、生まれついての才能を持ち、誰かに教えを受けなくてもどんどん成果をあげてしまうタイプの子供や若い人は確かにいます。
 
教師は、自分のこれまで積み上げてきた知識や能力の研鑽は何だったのかと感じ、自分の平凡さすら感じてしまうことがあります。
 
ただ、何の悪意もなく、羽目を外したり、やり過ぎになったりすることもありますから、信頼してもらえるアドバイザーは必要です。しかし、みっちりコントロールしようとすると反発しか返してきませんので、なかなかあんばいが難しいところがあるかと思います。
 
人に頼らず、ある意味で「自己完結」して伸びていくところがありますから、同世代の親密な友だちとかは意外にできにくいところもあるかと思います。まわりは、凄いとは思うかもしれないけど、「引いて」もしまうわけです。
 
そのため、親しい対人関係は、ほんとうに優れた先輩や、同世代のほんとうに強いライバルだけとなり、意外と孤独です。それを、世間の幅広い人たちからの声援で埋め合わせているようなところがあります。
 
ですから、理解者が得られなかったり、行き詰まったりした時に、けっこうひとりで落ち込んでしまったりしています。
 
普段交流のある人たちが、強くて立派な人たちばかりになりやすいから、弱さに気づいてもらうのが遅れがちです。
 
ゲームの中のトレーナーのように、実際にテイオータイプの人の世話を焼く立場に立つと、本人が精力的なことが少なくないので、結構エネルギーを消耗する場合があります。
 
この点、アニメSeason2 は、史実のテイオーのように、骨折を繰り返して栄光と挫折を往復し、チーム・スピカのメンバーをはじめとする他のウマ娘に弱さをさらし、励ましてもらうテイオーの姿が描かれます。
 
メジロマックイーンとの間で育まれていく、深い絆がメインストーリーとなっていて、非常に感動的です。
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トウカイテイオーのようなタイプの人は、「ボクって凄い、ほめてほめて!」と自己暗示し、さらに自分で自分を褒め続けて、やる気を引き出しているところもあるのかもしれません。
 
こうした際に大事なのは、周囲がすぐにほめ返してくれなくてもその孤独に耐え、自分を一層高い水準に磨きあげようと自分でプレッシャーかけ続けることをやめないことかもしれません。
 
一般に、自分を実際よりよく見せかけないことは大事で、自分のうぬぼれには自分で敏感である必要はあると思いますが、はったりかまして、そのはったりにかなう自分を実現しようとプレッシャーをかけ続けるのもひとつの生き方かと思います。
 
「ボクって凄いでしょ?」という人の天狗の鼻をへしおろうとする人は、自分の劣等感に浸っている人にありがちなことではないでしょうか。
 
むしろそういう「ほめてほめて」という人の、見せかけではない「リアルな実力」を評価して、ほめていくぐらいの心の余裕は欲しいものです。
 
これは、おべっかを使うということではなく、自分にないものを持っていると感じた人に対しては、ねたみから足を引っ張るのではなく、素直にほめ、見習いたいと思う方が自然ではないかということです。
 
批判や至らぬところの指摘は、影で冷笑されるくらいなら、たとえそれが見当外れでも大歓迎。「適切な」評価が返ってくれば感謝感激雨あられですが、それがすぐに返ってくることを決して期待しないで、孤独には耐えます。
 
そしてそうやって孤独に耐えている自分を、また「かっこいい」と自分で自分を褒めるわけですが。
 
それが、前向きであるということではないかと思っています。

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