見出し画像

生きることは、決断すること

保健センターには、さまざまな相談が寄せられる。

死にたい、子どもを殺してしまいそう、というヘビーな内容は想像されやすいと思う。でも、実はそういう内容より多い訴えがある。

【例】
・今日は洗濯物を外に干してもいいか
・腰が痛いが処方されてる湿布を貼っていいか
・風邪気味だけどお風呂に入った方がいいか

しかも相談してくる人達は、いたって大真面目で真剣。

湿度何%に保った方がいい?

※相談内容に改変あり

インフルエンザのシーズン。その人は非通知で電話をかけてきた。

相談したいことがあるんですが・・・

と控えめに始まった訴えは「部屋の湿度はどれくらいに保ったらいいのか」というものだった。

子育て世代のママが初めて冬を迎える時、似たような相談を受けることはあったけど、どう聞いても子育て中の年代ではない声だった。

一般的には50~60%くらいに保つといいと思います

とお返事したものの。

湿度を保つにはどうしたらいいのか、洗濯物を干せばいいのか、加湿器を買った方がいいのか、風呂の扉を開けておいた方がいいのか、そもそも湿度を保ってもインフルエンザにはかかることはあるのか。自分はどうしたらいいのか。

相談は20分ほど時間を要した。

どこの園がいいですか?

どこが評判いいですか?系の質問をされることは多い。公的な立場なので一概に「○○がおすすめ」とは言えない。もちろんお子さんの発達や家族の状況によって「ここが合ってるかも」と伝える事はある。

もちろん、最終的に決めるのは、その人自身。

でも中には最終決断を保健師に迫ってくる人がいる。

優柔不断・・・というには、やや違和感を覚えるわけで。そして後になって「あの時、保健師に勧められたのに」と触れ回る人も少数だけどいる。

ううーん、難しい。

決めることは責任を持つこと

”自分で決められない背景”は人によって様々。

精神的な疾患があったり、知的に境界域だったり、経験から学ぶことが苦手だったり、自分に自信がなかったり。

まあどんな理由があっても構わない。そういう相談を受けるのも、私たちの役割だから。

でも気を付けたいのは、指示だけしといて満足して保健師の仕事したわ!と思うこと。

死んでいいですか?とか、子どもの首しめていいですか?とか、禁忌の薬を飲もうとするとか、そういった時はもちろん”NO”を突きつけるわけだけど。

本人の代わり決断する行為は、大きいリスクをはらんでいることを私達は忘れてはいけない。

人生は決断の連続。

就職とか結婚とか、いわゆるビックイベントだけじゃない。

例えば、今日の夕飯はどうするか。
明日の服装はどれがいいか。
体調がすぐれないが薬を飲むべきか。
受診をした方がいいか。
今日は相談の電話をした方がいいか。

毎日の、小さな決断の積み重ねが、本人の人生となる。

小さな決断の積み重ねが、本人の自信になる。


「あなたがどんな決断をしても、それを尊重するし応援します」のスタンスで。

本人が「○○に決めてよかった」と後に思えるような援護をする。

決断のご褒美は、私達ではなく、本人が受け取るものだと思う。


自戒を込めて!