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渋谷系/若杉実(感想)_街そのものに勢いのあった時代の象徴的な流行

1990年代中頃、渋谷発信でくくられた一部アーティストによる音楽を「渋谷系」と紹介されていた。本書はそんな渋谷系のルーツから廃れるまで、当時のブームをつくった人々への取材によって丁寧に手広くまとめられていた。
直接本人へ取材していることもあって、思い出が美化されて誇張されていることもあるだろうが、たった20年以上前のことなのに様々な発見があって読んでいて楽しい。
なお、渋谷系アーティストや該当のCD紹介はほとんどされていない。
初版発行は、2014年9月29日。以下、感想などを。

渋谷系

渋谷系とは、なんだったのか

「渋谷系とはどういうものを呼ぶのか?」との質問に対して、どう答えていたのか。
「ベレー帽とかを被ったおしゃれな女の子が洋服を買うような感じで楽しめる音と説明していた」
つまり、ここからわかることは、渋谷系とは「どんな音楽か?」ではなく「どんな感じか?」「どんなひとに好まれているのか?」ということである。ようするに、"〇〇系"と呼ばれるように、どこまでも直接的な解釈を拒み、あくまでもイメージを重視しているのだ。

この文書から渋谷系の音楽を選び取っていたリスナーは、音楽そのものというよりも付随するファッション性の比率が多く占めているということがわかる。自分もこの説明にしっくり来るし、主にボートネックのボーダーシャツとローカットのコンバースを履いた女子がイメージ出来る。

とにかく、自分の好きな音楽を聴きたければ、CDやレコードなど物理的にパッケージングされたものを手に入れるしかなかった時代だ。
その点、宇田川町にはレコ屋がひしめいていたので、好きなジャンルのレコ屋を廻るのに好都合だったし、おかげでショップのロゴが大きく入ったレコ屋の袋を持ち歩くことがカッコイイと思っている若者までいた。

また、微笑ましいエピソードとして、大阪育ちの田島貴男が「オレは渋谷系じゃねえ!」と言っていたというところ。
大阪育ちだからというのもあるだろうが、アーティストにしてみたら渋谷系とひとくくりに記号化されることで音楽の幅を狭く評価されるのは気分が良くないのだろう。
リスナーからすると前情報として聴きたい音楽がジャンル分けられていると選別しやすくなるという都合はあるので便利なのだけど。

なぜ渋谷がオシャレな街だと思われていたのか

現在の渋谷は昔のようなオシャレなイメージは減ってきており、むしろ池袋に近くなってしまった印象があるが、当時の渋谷は「オシャレな街」という印象が確実にあった。

渋谷パルコに入っているファッションや本、「シネ・アミューズ」や「シネマライズ」で上映される若者カルチャーを象徴した映画(KIDS、バッファロー66)なども影響していたと思うが、カフェという言葉が頻出してきたのもこの頃だったと思う。

アプレミディ

カフェ・アプレミディ(現ファイヤー通り沿い)の経営者である橋本徹は、よりパーソナルなおしゃれ志向の源泉として渋谷のカフェ文化を挙げている。「ひと言でいうなら"アフタヌーンティー文化"。あそこのBGMは、小西(康陽)さんと交流の深かった関口(弘)さんが選曲したテープを流していて、そこにはロジャー・ニコルズとかも入ってたみたい。」

当時流行りはじめたカフェというオシャレな空間で音楽が流されることによって、その音楽の持つ意味合いが小洒落たものに変わってくる。
そんなレコードを売るレコ屋が宇田川町にはひしめいていた。新宿や下北沢にもレコード屋はあったがそれぞれに売っているレコードのジャンルが違うため、やはり渋谷へ行き着く。

音楽制作方法の変化

ベリッシマ

渋谷系に括られるアーティストとして思い浮かぶのは、ピチカート・ファイブ、フリッパーズ・ギターが代表的で、音楽雑誌ではネオアコバンドとしてアズテック・カメラ、オレンジ・ジュース、トラッシュキャン・シナトラズや、アシッド・ジャズではジャミロクワイ、インコグニートなども紹介されていた。本書によると、デビュー当時のMr.Childrenも渋谷系と紹介されていることもあったというので、境界はかなり曖昧だ。

渋谷系音楽の一部アーティストの特長には、60~70年代のセンスの良い洋楽をサンプリング、コラージュして楽曲がつくられたというのがある。HIP HOPやハウスなんかも一緒で、ハードウェア・サンプラーのテクノロジーの進化、普及に伴って音楽の作り方が変わった。しかもサンプリングされることによる権利関係の問題はまだ曖昧で、インターネット普及前なので膨大な数のリスナーたちによって元ネタを指摘されるようなことも無い。

本書でもアフリカ・バンバータが引き合いに出されているが、楽曲制作のプリミティブな遊びの要素が強い。

実際の創造の瞬間は、作為や知的操作が届かないところにあって、かぎりなく"遊び"に近い。夢中な精神状態、不完全なテクノロジーゆえに生まれた"偶発的側面"も重要だとおもう

偶発的側面とあるが、昔の曲をサンプリングするにしても、元ネタになる音楽の知識が必要だし、偶発的に良いネタを見つけることが出来たとしても、そこには多数の試行錯誤とセンス良くコラージュするセンスが必要で、渋谷系のアーティストはそのあたりの技術に優れていた。

CDが売れて、紙媒体が重要だった時代

音楽配信サービスの存在しない90年代、音楽を聞くための手段はほとんどCDを手に入れるしかなかった。そんなCDの日本での売れ行きは1998年をピークを迎えているので、渋谷系の流行っていた時代というのは現在よりも真剣に音楽を選択していた。

また、ネット環境が整っていないため『情報過多で聴く音楽を取捨選択するのに一苦労』ということは無い。高速&定額のADSLによるインターネットの普及は2000年以降となるため、当時の情報収集の手段は紙媒体がメインとなる。本書でも「ディクショナリー」のようなフリーペーパーが重要な役割を担っていたとあるが、消費者も情報に飢えていたのでさぞ影響力があったことだろう。
自分も音楽雑誌を購入すると、隅から隅まで何度も目を通した。だって他に好きな音楽の情報に触れる方法が無かったから。

渋谷系ということばはどこからやって来たのか。結論から言えば"風のたより"でやって来た。ようするに口コミによるものである。
当時はインターネットもなく、人びとの情報伝達といえば新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどが媒体の主流だ。そして目で見たもの耳で聞いたものを言語に変換し、友だちや知人らとの会話にそれを盛り込むことで、文字どおり情報がひとり歩きする。

楽曲制作のテクノロジーが進化して、情報取得が紙中心のエアポケットのような時代に、服屋やレコ屋に置かれたフリーペーパーなどによって小出しに出される情報が徐々に拡散し、大手メディアでも渋谷系が紹介されることで流行として認識されるようになったということだろう。

そうして「渋谷系」という流行も数多のブーム同様に消費されることで飽きられ、または定義が曖昧であるため"渋谷系"と紹介すればセールスが伸びるからと、あれおこれも渋谷系と括られて増殖し、希少性も無くなり廃れていった。

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自分は当時、渋谷系についてよく認識していなかったため、後追いで知って「そんなブームがあったの?」というくらい。

この本を読んで思い出したのが、95年頃に友人に誘われて小沢健二のコンサートへ横浜まで行ったこと。何しろ小沢健二のことを知らなかったし、その頃は持ち曲が少ないせいか「流れ星ビバップ」を2回演奏していたのと、王子様みたいな格好したオザケンの写真が満載のパンフレットを購入してしまったことくらいしか記憶にない(まだ家にある)。

いずれにせよ、当時とは比較にならないほど渋谷という街の求心力は下がっているこの時代に、レコード屋が壊滅したわけではないというのが嬉しい。
レコファンの渋谷BEAM店が今秋に閉店するというのは残念な話だが、DMRのあった場所でhmvがレコードを売っているというのも感慨深い。
レコードは、音楽をモノとして実体が所持出来るという実感があるし、CDと違って12インチサイズのジャケットは眺めているだけで幸せな気持ちになれる。

余談だが、2019年発表インドネシア出身ViraTalisaの「Primavera」という曲を聴いていたら、そのまんま「渋谷系」で紹介出来ると思った。
ボサノバみたいなダンスビートとスキャット、それと軽快な空気のせいだと思うのだけど、共感出来る人もいると思うので「渋谷系」って便利なワードだなと思う。

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