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ただ、才能が欲しかった

 例えば、深夜の一時を回って、現実的な一日の終わりからも諦めに似た眠りからも逃避するように、ベランダに出てみる。アパートの一階のベランダには潮風が舞い込むこともなければ、柔らかな月あかりが差すこともない。疎らな生垣のツバキが唯一、私に寄り添ってくれているような気がする。ハイライトを一本、咥える。ライターの中で透明な液体がゆらゆらと揺れる。おもむろに付けた灯。吸い込んだ息に、夜の香りが混じる。そういう一日の終わりに私はただ、才能が欲しかったなと思う。

 

 本物に触れたことがある人は、いったいどれくらいいるだろう。私が憧れ敬うその人も、自分が本物かどうか分からないのかもしれない。きっと誰しもが、誰かの本物になろうとしているのかもしれない。小説も絵も同じだ。本物には力がある。私の小説には力はない。私は本物ではない。


「みっちゃん」


 例えば、名前を呼ばれて室内を振り返る。ハイライトはまだ最初の巻紙を煌々と燃やしていて、私はまだ上手に生きているつもりでいる。どうしていつも私は、振り返れば誰かがそこにいてくれることを期待してしまうのだろうと思う。私が点けっぱなしにしたリビングの暖色の照明が振り返った私を笑う。そういう瞬間を重ねるごとに、私はその声が偽物なのではなく、私自身が偽物だったのではないかと不安に思う。


 私が好きな絵の話をあなたにしました。こちらに背中を向けて、古着屋の窓から店内を除く女性の絵。限りなく柔らかな筆使いで書かれたその女性は、いったいどんな表情をしているのだろう。そう私が言ったらあなたは、彼女は前を向いて生きていて欲しいのだと言った。私は自分自身を情けなく思っているから、絵の中の彼女には、私よりも前を向いて生きていて欲しいと思う。そう言った。私は本物の絵に触れた。それは物理的なものではなく、実に間接的で個人的な感情だった。本物には力がある。人を勇気づける力だ。でもそれは一義的な勇気ではありません。


 例えば、私の書いた小説が本物だとしたら、私自身も本物になれたのだろうか。吸い込んだニコチンとタールは私の肺に沈殿していく。この肺が真っ黒になるまでに、私は何か一つでも、人を勇気づける小説が書けるでしょうか。その答えは分からないけれど、勇気づける人がいたとしたら、それは他の誰でもなく、ごく最近の私であればいいと思う。名前を呼ばれて思わず振り返った私が、私によって勇気づけられたらいいのにと思う。窓ガラスに私の不細工な顔が反射する。不細工なのは顔の作りの問題なのか、表情の問題なのか、あるいはその両方かもしれない。現実を受け止められない時の心持ちを、人は不細工と呼ぶのだと思います。


 例えば、あなたの絵は本物で、私に何か勇気をくれるのだとしたら。

 私はもしかすると、筆を折ってしまうかもしれません。


「みっちゃん」


 ハイライトは徐々に黒い灰に変わっていく。立ち上る煙は夜には紛れず、部屋から漏れる照明は決して月あかりの代わりにはならない。あなたの絵は他のどんなものにも埋もれたりはしないのに、私の小説が持つ力は、ただ私に煙草を一本吸わせるくらいのものでしかない。


 例えば、私の小説が本物で、私自身に勇気をくれたとしたら、私はもう少し綺麗な顔で振り返ることが出来ただろうか。

 例えば、振り返ったらあなたがいたら、私はもう少し私の事を好きでいることが出来るだろうか。


 例えば、私自身が本物だったのなら、私は私を勇気づけることが出来るだろうか。


 例えば、私に才能があったとしたら、


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