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不安をリセットしてくれる思い出

今日は長男の事を書きたいと思う。

私は比較的、家族の記事は少なく、ちょうど1年前にこんな息子たちの事を書いた。

この時に長男が人間関係に疲れて会社を辞める辞めないの話をしていたが、結局自分で結論を出して、昨年の10月いっぱいで会社を辞めて就職活動をしていた。

ゲーム業界一択にしているせいか、面接を受けても受けても落とされ続けたが、やっと先月から就職し、今のところ機嫌よく出勤している。

無職のプー太郎期間は半年に及んだ事になる。

その間、広島の友達を訪ねたり、年末のドカ雪の時期に北海道まで行ってゲーム仲間と集ったり、私にはとてもじゃないが呑気にしか見えない生活をしていた。

本人に言わせれば、全く呑気ではないという。
ちゃんと考えていると言うのだ。

しかし、就職浪人した時の次男と比べると、顔つきも取り組む姿勢も、生活パターンさえも違いがあり過ぎて、兄弟でこんなにも違うものかと、今更ながら思わざるを得ない。

二人とも私が生んだのに。

上記記事にも書いたが、
一見すると、
真面目そうな長男が実は自由気ままで、
やんちゃな次男が生真面目。

私は二人が社会人になって初めて気付くことになる。


【次男に関しての過去記事】


今年の7月で28歳になる長男。
今後もこんな風に転職を繰り返すのではないかと先が思いやられてしまう。

この子は、ちゃんと自分の足で人生を歩んでいけるのだろうか?


反応が薄くて心配だった

乳幼児の頃から大人しく、周りの事に反応の薄い子だった。
普通は興味を示すだろうことも、あまりに無関心なので、一時は知的障がいも疑ったことがある。

市の子育て窓口に相談して、医師を紹介してもらったり、大阪市立病院で何度か診察を受けて検査をしてもらったこともあった。

私としては、何か障がいがあるなら、できるだけ早いうちに対処して、この子が生きやすい環境を整えてあげたいと思ったからだ。

「お母さんは、何が心配なのですか?」
と、結果を見て逆に医師から質問され、具体的な事例を挙げても、子供の成長は様々なので気にする必要はないと断言された。

また、3歳になっても、たった3センチほどの段差も飛び降りる事ができず、運動能力も極端に劣っているようだったので、「大阪肢体したい病院」で検査もしてもらった。

結果はどこにも異常はなく、ただの性格的なものではないかとの事だった。

確かに、様々な検査をしても正常の域からはみ出ることはなく、初めての子供だったので過敏になり過ぎたかと、かろうじて思い直したが、どうにもスッキリしなかった。

身体、知能、どちらも正常で、ただの怖がりで反応が遅いだけだというのだ。


とにかくボッサリしているので、いじめられる事もあり、学校へ通い始めても勉強より何より友達と楽しそうに過ごしているかどうかが、常に一番気になるところだった。



人生は任天堂とともに始まった

とにかくゲーム好き!
長男はその一言に尽きる。

物心がつく3歳ごろ、お誕生日だったかクリスマスだったか、軽い気持ちで『NINTENDO64』をプレゼントしたのがきっかけでゲームに没頭する。

ある意味、長男が覚醒したのはこの時だったのかもしれない。

その後、あまりにも没頭するので、他の事に興味を持たせようと、ボーイスカウトに入れたり、バスケットボールをさせてみたりしたが、一向にゲーム熱は冷めることなく大人になってしまったのだ。


「マリオ」が友達

その後『ゲームキューブ』や『Wii』、「マリオシリーズ」をはじめ「星のカービィ」や「ポケモン」など任天堂のゲームは長男の人生と並行して次々と進化し、ますます彼を夢中にさせた。

特に「マリオカート」はお気に入りで、『Wii』ではネットを使って世界の人と対戦できるようになり、成績がランク付けされることに達成感を得て、ますますハマっていった。

まだ当時は、リビングのテレビにつないで親が管理できるようにしていたので、私でさえ音楽を聴いただけで、どのコースを走っているのかわかるほどだ。

そのコースのひとつ「レインボーロード」は、ガードレールのない宇宙空間のような道なのに、なぜ落ちずに完走できるのか不思議で、長男の走行を感心して眺めたものだ。

その集中力、もっと他に使えないものか💧


「ゼルダの伝説」が国語の先生

このゲームは、登場人物たちのセリフを読んで謎を解きながら進行していかねばならない。

だから、ちゃんと読んで理解したいという強い思いがささやかな読解力を養うキッカケとなった。

国語を習ったからゲームができる。
ではなく、
ゲームをしたいから国語を勉強する。

彼の場合は完全に後者で、順番が逆だった。

最初こそ主人と一緒に協力し合ってゲームを楽しんでいたので、ある意味ゲームは親子の距離をグッと縮め、子供の向学心を養う機会を与えることもある。


寝るかゲームか

大学生になると、自分でテレビを買い、自分の部屋にセッティングして、ゲーミングチェアも購入して思いのままに環境を整えてゆく。

もはやとっくに任天堂だけではなく、知らない間に『PlayStation』もセッティングされ、もはや何の
ゲームをしているのか、私にはまったくわからない。

「モンスターハンター」までは知っているが、それ以降は聞いてもわからない。

世界中と繋がり、インカム付きのヘッドフォンで会話しながらゲームをしている。
時にはオーストラリア人、時にはインド人など、お互いに片言の英語を介して会話は成立しているという。

いつの間にか、ゲームを通してグローバルな世界を体験していたのだ。

もちろん日本人も多い。
日本各地の人とゲームを通して繋がり、チームとなって「eスポーツ」のような大会にも参加している。

とにかく、在宅中は自室で寝ているか、ゲームをしているかなのだ。



子育ての初心に返る

私のような昭和世代は、近所の空き地で汗をかいて走り回る事が遊びだった。

だからこんな風にゲームにのめりこむ長男を異様に思い、将来への心配がピークに達したことがある。


長男を産んだ小さな産院

長男が高校生になった頃だろうか、「子宮がん検診」を受けるために、長男を生んだ近所の小さな産院を訪れた。

私の住む市では、2年に一回、
子宮ガン検診が無料で受けることができる。
市の保健センターか市内のどの医療機関でもいいので、リストの中に長男を生んだ産婦人科医院もあり、懐かしさで、思わず選んだのだ。

今から12年前で、長男を出産してから16年経った時である。

院長先生はかなりの高齢のはずで、今でもお元気だろうかと再会したい気持ちも強かった。

長男を出産した2年後に、産科を辞められ、婦人科だけとなってもう14年。
当時でも60歳は過ぎておられたようなので、どんな風に年老いておられるのか?

今でも現役なのか?
それとも別の先生に変わったか?

いろいろ心配しながら訪れたのだが、そんな不安は吹き飛ぶこととなる。


厳しくて優しい先生

恐る恐る診察室に入ってみると、見覚えのある院長先生の顔があった。

その顔を見たとたん、思いがけず胸が熱くなったのだ。

豊かだった白髪は、かなり少なくなり、
顔のしわも増えてはいたが、肌の色艶は変わらず、やさしい言葉遣いでありながら、キッパリと言い切るブレない話し方。

診察中は無意識に先生の観察に全神経を注いだ。

いったいおいくつになられたのか?
75歳? 80歳?

こんなにもシッカリと背筋を伸ばして、筋の通った解りやすい説明をされている。
あぁ!何も変わってない。外見こそ老いたものの、物腰や話し方は何も老いてはいない。

そう思うと、目頭が熱くなってきた。
妊娠中の事もイロイロと思い出してきた。

エコー検査で男の子とわかって残念がった私を
「性別などどっちでもいい!元気で五体満足が一番です!」と叱り飛ばされたっけ。。。


そこには当時と変わらない矍鑠かくしゃくとした医師の姿があった。


長男を取り上げた大きな手

診察中一通りの説明を聞きながら、不思議なぐらい妊娠中から出産に至るまでの様々な事が蘇り、長男の誕生を心待ちしていたのが思い出されたのだ。

泣きそうになるのをこらえながら、去り際に思わず言わずにはいられなかった。

「先生、長男の出産の時はお世話になりましたね。
あの時、先生にとりあげていただいた子は、2400gの低体重児でしたが、今では背丈が180cmもある高校1年生となりました。

大変難しい時期で、ちょうど将来が不安になっていました。

でも、こうやって先生にお会いできて、
当時の事を思い出すと、子育ての悩みが晴れるようです。

今日はお会いできて初心に返ることができました。」

「そうですか。そう言ってもらえると私もうれしい。
小さく生まれて、大きく育つ。
そういう子は、これからも絶対に大丈夫ですよ。」

そう言って、にっこりと豊かに微笑むと、
子宮がんに関する小冊子を手渡してくれた。

その手は、当時と変わらず、ドッシリと大きく、
きっと何百もの生命をとりあげたであろう大きな自信がみなぎっていた。


込み上げてくるものを必死に抑えながら、産院を後にしたことを思い出した。

なぜ泣けてきたのかはわからない。
大切な初心を忘れていた事に気付いたからかもしれない。

親の勝手なエゴで悩むのはやめよう。
息子を信じてみよう。


いつまで経っても心配の絶えない長男だが、その時の事を思い出し、長男の見方をリセットするようにしている。


顔の大きさは主人の拳ほどしかない小さな赤ちゃんだった。


産まれたての弟を初めて抱いて困惑している💦
現在の長男は、この時の面影など微塵もありません。


現在、その医院は内科となり、息子さんと思われる方が継いでおられるようで、今でもご存命なのかどうかは不明である。

しかし、その時の先生のお元気な姿は、私の心の中にいつまでも存在している。



みんなの子育て

他クリエイターさんも子育て、出産でいろんな悩みを抱えているようです。
親になった瞬間から、みんな悩んでいるのだと痛感します。


琲音さん

はいねさんの記事を読むと、私の悩みなんてほんの小さなことだと思い知らされます。


ゆめひみこさん

反抗期も人それぞれ。
どんなにデキた子供でも、何があるかわかりません。



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