「昨日のできごと」について

昨日、私は後輩とボイスチャットで話していた。もはやPS4の使用法の9割がボイスチャットになっている。個人的にはそれで良いが、PS4及びSONY的には良くないかもしれない。しかし、ここで親しんだ結果SONY商品を買うことが多い状況もあるので、一概には言えないだろう。
さて、そのボイスチャットで「解像度が低い」という話になった。カメラの画質ではない。世界の見え方である。そして、どうやらこの解像度という言葉を言ったのは私らしい。覚えていなかったが。まぁ、世界の見え方の話はたぶん後輩からであろう。
しかし、その例えに私が解像度という言葉を選んだのは意外だった。解像度についてよく考えるようになったのはごく最近と思う。携帯の画面で見れば、十分綺麗だ。だけど、アップにしたときコレジャナイ感が現れる。上を求めればキリがないが、追求を目指したいものである。
この解像度の話がなぜ出たかと言うと、決定論と自由意志がポケモンとの出会いに対する人の感情に似ているという話題からである。私自身、似ていると思っているのだが、どこがという点をうまく説明できない。語彙力・文章力という側面もあるだろうが、自分の理解度がまだボヤけているということだろう。その話で「解像度が低い」となったわけだ。
そんな備忘録。

なお、後輩と読書会を催すことになった。
ドウシテソウナッタ。

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