「私は京都で写真を撮る人になりたい」について

昨日、ひょんなことから親に自分が如何に京都で写真が撮りたいかを語ることになりました。
ドウシテソウナッタ。
しかも、父親。
ドウシテソウナッタ。
でも、この気持ちはきちんと言葉に残しておきたいと思ったので、今の気持ちを書いていこうと思うのです。

なぜ私が京都にこだわるか、まずはそこですね。私にとっては初めて得た「地元」なんだと思います。「地元」っていうのは、つまり、「ずっと居た場所」「帰って来れる場所」「いつでも来れる場所」だと思います。
私には、この3つが揃った場所がありませんでした。転勤族の子どもに生まれたからです。漫画でよくある、転校して来て何やらイベントが終わるとすぐ引越すほどではありませんでしたが、何年か経つと引越しでした。それなりの期間は居られるのですが、逆に言えば、ちょうど馴染んだ頃に引き剥がされるのです。その後縁あって再び赴くこともあれば、十何年も行ってない場所もあります。
そんな中で大学の頃を過ごした京都は違いました。住む場所こそ途中で変わりましたが、それからもしょっちゅう行きました。さらに、気づいたのです。人生で京都にはずっと来ていることに。親戚の家があったこともあり、小さな頃からずっとです。初めて得た「地元」かもしれないと。
もちろん、純粋な意味での「地元」ではないと言う人があるかもしれません。地元貴族の方です。地元なんてあって当たり前だと。違うんです。渇望してきたものなのです。だから、あくまでもカギカッコ付きの「地元」なのです。それすらもなかったのですから。

ただ、そうやってようやく気づけた「地元」京都。その魅力を自分は本当に知っているだろうか。もっと知りたい。そうして京都散策を始めました。
そして、京都の素晴らしい風景に出会いました。その一瞬をずっと保存して誰かに伝えたいと思ったのです。
だから、写真を撮り始めました。撮れば撮るほどもっともっとと思います。京都の魅力をもっと知りたいし、もっと伝えたい。そのために写真を撮る術を身につけたい。

もちろん、生きてはいかないといけません。私は独り身の社会人ですので、自分で稼がなくては。
でも、それ以外の自由な時間は京都と写真に。
それが私の望みです。

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