『いとも優雅な意地悪の教本』橋本治
心の中で悪態をつきながらの日々。
どうせ悪態をつくなら洗練する方向に、というわけではないけど読んだのは『いとも優雅な意地悪の教本』。
意地悪ですね、というのがこの本では褒め言葉。
なぜなら意地悪は知性がないとできないし、もっと言えば知性とモラルが同居してないと洗練された意地悪を言ったりできたりしないから。
他人を悪く思ったり憎しみを持ったりするのは自然なことで、切り離すのは難しい。だったら、悪口を悪口とは感じさせない、あるいは簡単には気付かれないような悪口に変える訓練をすればいいじゃないか、と。この本はタイトルにある通り「教本」というくらいですから、意地悪とは何かをはじめ、歴史にさかのぼって意地悪の実例を示してくれます。
本文で【】の中に書いてあることは橋本治の意地悪が漏れている部分。
最後は「善と悪」まで話が進みます。西洋と中国、そして日本の善と悪の考え方の違いが比較されています。
死ね!→死ねばいいのに→(もの足りなければ「あぁ!」や「クソ!」をその前につける)→どうして生きているのだろう、と変化するようなことが意地悪。主語を曖昧にしているから簡単にバレることはなく、かつ密かに相手をバカにしている....。
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